それでも私が学術界の端くれにとどまる理由

 私は最近出版した著書で、学問からはみ出してエッセイを書いた人間だ。学術界の小さな村にあたる学会活動にもそれほどに熱心 であったとはいえない。そんな一人にとって村を代表する学者たちが集まる国会のような学術会議は、正直にいって遠い存在で、保守的で常識的な研究をしている自分とは無縁の存在だと感じていた。そんな私でも、今回6人が任命されなかったという事実に衝撃を受けている。火の粉が身近に迫っているとひしひしと感じる。

 作家のハンスト、映画監督の声明、学術界の外からも危険を察知したカナリアたちの声が響く。何が起きようとしているのか恐れを抱いている人たちが援軍を送ってくれている。末端の学問に使える私ができることは何か、と考えた時文章を書かずに寝られなくなった。

 今回の事実をめぐる発言はリトマス試験紙のように、その人を赤か青かに分けた。「あなたとは意見が違うけど尊重し話し合う」という青い人と「あなたとは意見が違うから話し合う必要はない」という赤い人。アメリカの政治状況とも似通う。大学人にも弁護士にも、高学歴の人にも赤い人がうようよ出てきた。これだ、まさに私が最近の著書であぶりだしたかった差異。時の首相は間違いなく赤い。このまま赤が勝てば日本の近未来は燃え尽きる。

 誰でも自分の意見が正しいと信じたい。たいがいは権力を持つ方が意見を押し付ける。親は子に、夫は妻に、教師は生徒に、上司は部下に、先輩は後輩に。日本人の多くは嫌というほどにその経験をして大人になる。だから、権力を握ったら意見を押し付けて当たり前と信じている。結果的に、真の議論はなくなり正しさは権力争いと同義になる。そうじゃない対等な関係だってありうることが想像できないのだ。学術は、対等な関係があって成り立つものだ。若輩であろうと、学問的に正しければ平等に主張してよいし、認めてもらえる。民主的で心地よい貴重な人間の関係性が、なんとか育まれている場所なのだ。私がこの業界に流れ着いてそこにとどまる理由である。

 残念ながら、家庭や高等学校までの「教育」は「学問」とはいえず、不連続になっている。これが日本のリベラル弱体化の原因ともいえる。あえてそうしてきたのが政府与党である。日本社会で孤立した大学という業界は目の敵となる運命のもと、奮闘している。

 任命の拒否の理由を「説明して」という穏やかな態度はいかにも「青」の人たちらしい。「赤」の粗雑な言葉をメディアの方がたはこれ以上垂れ流さないでほしい。粗雑な言葉の連鎖はメディアをいつか呪縛する。親父が「だれのおかげで飯を食えると思っているんだ」と妻をあしげにするように。「政府の金を使うなら、オレに逆らうな」という論法と行為が同型だと気づいてほしい。日本社会は足蹴にしている学者たちに、実は深く依存しているのに、そのことを忘れている。全ての行為が私企業のように利益を優先させるものになるなら、未来の社会は直ちに痩せ細る。これは学問の自由などという狭小な問題ではなく、日本の存続に関わる土台を蹴飛ばしていいのか、という問題だ。

 こともあろうに、「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」という本で、黒歴史のプロセスを丹念にマイルドに著した加藤陽子氏を任命しないなどという愚挙に出た政権は、自らその轍を踏もうとしている。きっと、本は読まない人たちなのだろう。こんな中立的なベストセラー本の著者を排除してどうすんの?「ふつうの人」が政権の異常さに気づいてしまうよ。

 政府への批判は、社会をよくするために絶対に必要な行為である。私は「大丈夫」と政権擁護し続ける人たちを愛国者と信じない。批判を受け入れない社会は進歩することも変化することもできない。厳しい意見は社会を愛するがゆえ。正直いって自分のことを時々「愛国」者だなと思う。だって、丁寧に調べつくして考えて異論を述べるのは大変なエネルギーがいること。なんでお金もらわずにわざわざこんなに面倒なことやってるのか。内閣調査室からの指示にしたがって、世論をスピンするためにお小遣い稼ぎしたほうが楽なんじゃないのか。絶対にしないけど。

 大事なのは違う意見が同じ制度の中で取り入れられて少しずつ刷新されること。それが民主制にあって全体主義ではない変化である。自分が議論で負けてしまう時、素直に負けを認められる常識が民主主義の根幹になければ、怨嗟の渦巻く権力争いは永遠に終わらない。

 オリンピック選手を選ぶのは各スポーツ協会である。その団体が推薦してきた代表を、ド素人の首相がオリンピック代表からはずしたら、誰でもおかしいと思うだろう。学術会議に起きたのはそういう類のことだ。その道の玄人である学会から選ばれた人は、ほかの誰かが選び直すことなど絶対に不可能だ。推薦されたら任命すべきなのは当然である。

 こんなに末端の物書きである私でも、SNSや書き込みを通じて不穏な事象を多々経験している。徹底したメディア管理の時代をつくった1人が現首相となった。もっとひどくなると思った矢先にこれだ。でも、どれほど脅かされても、真実に仕える人々は黙ることはしない。歴史に身を挺する覚悟があるとはそういうことだから。そして、歴史は裏切らない。いつか正義に対して女神は微笑んでくれる季節が訪れる。その重みを知っている人たちが学術界の末端にまで連なっていると、現政権を担う人々は覚悟せよ。