令和元年の災害は気候変動の記憶として留まる

 千葉はこの秋3回目の、台風がらみの災害に見舞われている。ついさきほど避難指示の警報が鳴った。授業にいくはずだったのに、鉄道もバスも止まって交通手段がなくなってしまい、宙ぶらりんで自宅にいる。自宅はマンションの上階なので洪水のために避難はしないが、窓からは何も見えないほどの雨が降っている。きょうは平日昼間。台風は遠くを通過するからとたかをくくっていた。自分もあやうく情報を入手する前に冠水地帯に車で突っ込んでいた可能性があり、冷や汗(^^;;. バスを待ちながら(結局来ない)強風で体が倒れそうになり、「飛来物がいま来ませんように」と祈ってしまった。県民の皆様の無事を心から祈っております。

 もう30年も前の仕事でIPCC第2作業部会のための、地球温暖化の影響評価に関する文献研究など下準備にかかわっていた。当時すでに将来に起きうる被害について大量の知見が蓄積されていた。私はそのはしくれにもならなかったが、大勢の研究者や政策決定に携わる人たちが、専門知の垣根を越えて地球温暖化問題の周知に努力し続けた。けれど、気候の変化をとめることは叶わず、ますます世界の気候が酷くなってここまで来てしまった。村上春樹じゃないが、やれやれ。そしてもう悲しいね。かつての研究者と「もうとめるのは無理かも。適応するしかないね」とつぶやきあったのが10年前。しかし、「適応」も簡単にできることじゃない。

 台風の強大化、歴史上最大の風速の更新、記録的な豪雨の連続。豪雨回数の増加は、温暖化に伴って正確に予測されていた典型的な変化である。
 気温上昇で空気中の水蒸気が増える→地球に重力がある限り水は地上に戻ってくる→雨が(降りやすいところで)増える。
 日本は海に囲まれて乾燥より豪雨系。しかも普段から台風被害にさらされる地なので、まるで生贄のように、風雨の被害を受けやすい地理的条件が備わってる。

 さすがに、今年の災害は人々に、気候の変化によるものとして記憶に留められるであろう。九州や関西地区はもう長らく気候の変化にさらされてきたけれども、今回首都圏に及んだから。残念ながら「中央」の人は自分が危機にさらされないと気づかない。まだ東京は雨にも風にも強かったのになんだかんだと耐えたから、大丈夫だとまだ気づいていない人も多いだろうが。

 私たちの生命の元となる食べ物はどこから来るかいつか思い知らされる。そう、今回甚大な被害を受けた千葉や福島、そして長野。田舎に住む人たちが自然の災害続きで「農業や漁業なんてやっていられない」となったらどうする?若く活力にあふれた中年の農業の男性が「もうこれ以上できない」とインタビューで答えていたのをみた。お金を考えたら、もっといい仕事はあるのだから。ただでさえ高齢者がギリギリで支えている農漁業をこれから誰がやる?世界から食糧なんて安いものは、買ってくればいい?でも、世界中でこうなるとしたら?食べ物が入手しにくくなるかもしれない。

 気候変動の恐ろしさは食糧危機とそこからの紛争にあると考えている。世界中の人が生存のためのサバイバルゲームを始めている。日本の低い食料自給率で安心して暮らせというのは無理だ。公は災害時もそうだが、頼りにならない。先の戦争でも武器はガンガン作るが食糧は後回し。戦地にも持参せず現地調達をさせたりしていたわけで。後方支援に関して、日本社会の支配層にはまるっきりセンスがなかった。食べ物がなくて戦地で餓死ばかりさせた歴史的事実は動かせない。

 私がささやかな菜園を始めた理由の1つはこの食糧入手への切迫感とともにある。園芸がそこそこ趣味の自分が、余って放置されている土地で農産物を作れば、他の人はその分食糧を入手しやすくなるはず。この菜園でも、秋まで取れるはずだった野菜は一部倒れてしまったけれど、今年始めていてよかったなと思っている。