コンクリートでは自然に勝てない

 大阪での地震、西日本での大雨、そして私の近隣でもある千葉での地震。自然の猛威をしみじみと感じて心が萎えている。日本に住む私たちは自然を征服することなど到底できないのに、日頃考えないフリをして暮らしている。
 ガチガチに護岸を固められた河川は、一見安全にみえる土地を大量につくりだした。でも、そこが本当に安全であったわけではなかった。どこか一箇所でも堤防が決壊して水が流れ込んでしまえば、固めたコンクリートに阻まれて水はプールのようにたまりつづける。海につくられた堤防も同じ役目を果たす。岡山の真備で起きている信じられないほど高く持続している洪水と浸水は、自然の災害であると同時に人工物による災害なのだ。
 でもきっと、政治家は150年に1回の洪水が頻発するなら、300年に1回のレベルに堤防をかさ上げしようと言い出すだろうし、市民も賛成してしまうかもしれない。そうやって土建国家は延々と続いてきた。東日本大震災のあとにも、海を見渡せないコンクリートの壁が築かれている。復興で儲かる業者がいて、下請けがいて、働く人がいて、政治家がいて、支える市民がいる。少数の反対の声はかき消される。実際「コンクリートから人へ」は人気がないスローガンになっていった。
 私は近隣で朽ち果てそうなコンクリートの塀を見るたび、恐怖を感じながら歩く。これは正真正銘の凶器である。アメリカでは銃が凶器として大量に出回っているけれど、かわりに日本ではコンクリート塀という凶器だらけの空間がある。いつどこで起きるのかわからない地震で倒れそうなコンクリート壁の横、車道に申し訳程度についている狭い歩道を歩いていて学校のブロック塀で亡くなった小学生がいた。不条理な死の象徴だ。いまブロック塀という人工物を所有している人は、気づいてほしい。どんなに美しく綺麗な家に住んでいようと、塀という凶器を人に向けながら過ごしていることを。
 コンクリートブロックの構築物をみるのは心から嫌い。とにかく美しくない。このコンクリート塀だらけの風景ができたのは、たかだか戦後である。アメリカからコンクリートブロック製造機械が輸入され、日本の風景を急激に醜悪なものに変えていったのだ。壁だけじゃない、消波ブロックを大量に投げ込まれて景観の破壊された海岸線も目を背けたくなる。これも敗戦後に入り込んだ誰かが儲かるための押し売り産業の1つなのだろう。いまも世界で売れなくなった石炭をアメリカが日本に売りつけようとし、儲けたい人々がその要望を受け止めているように。
 自然を力でねじ伏せようとするやり方はそろそろやめよう。すばらしいお手本をロシアW杯の日本代表が示してくれたんだし。私はニンジャサッカー、と勝手に呼んでいるけれどもするりするりと巨漢の間をぬけていく柔らかさ。ガチで壁を構築するだけでは芸もない。そんな新しい日本サッカーに希望の光をみた。縮小していくこの国をコンクリート壁に囲まれずとも安全に過ごせる知恵は、きっと皆で絞れる。