セキセイインコの入院

 新学期でただでさえ生活が落ち着かないところに、ペットの手乗りセキセイインコが体調を崩してしまい、動物のお医者さんに文字どおり命を助けていただきました。しばらく入院をしていたので、毎日面会に招集。(考えてみたら子どもたちは丈夫で入院したことがないような気が...。)小鳥は人間の子どもよりさらに弱い生き物ですので大変な気疲れをした気がします。先週退院して一週間、もう大丈夫そう。退院にそなえて29度に保てる箱を整備。退院後は糞の数を毎日数え様子を健康チェック表に詳細に記入。毎日2回投薬し触診。かなりキツイですよね。大変に飼い主に厳しいペット想いの先生でした。
 うちのインコはそろそろお年なのに、今年うまれて初めて卵などを宿してしまい(もちろんひとり身なので無精卵)、さしずめ高齢で初産、陣痛が弱く自力出産するのに苦労をして入院しなんとか出産をしたものの、予後が悪く回復に時間がかかった、というような状態でした。
 子どもは家を出ていないのに残されたペットのお世話に振り回されるとは、ため息がでてしまいますね。それにしても、お医者さんに通っていると病気の動物達は引きも切らず。ペットと共に生きている人ってたくさんいるんですよ。お医者さんとの会話が聞こえてくると、それぞれ種も違ううえに個性も違う。「この子はホントに小食ですねえ」「もう、気持ちだけでご飯がのどとおらなくなっちゃうんですよ」とか、性格を瞬時に把握して対応が実践的になされる。動物のお医者さんていうのは、本当にすごい職人芸だとあらためて感嘆しました。マニュアルが全く通用しない世界なので、個人の才覚が際立つのかもしれない。小鳥OKという病院は本当に少ないのだけれど幸い近くに名医がいてくれて本当によかった。人間の小児科のお医者さんもこのくらいの職人芸を発揮できる人にやってほしいものですね。
 そういえば一時期獣医志望だったこともある私。言葉を発することができない動物の感情を理解する力は結構あるほうかもなあ。人間の子どものほうが数段ラクに感じます。だって少し大きくなれば言葉を話してくれるんだから。ただし、あの動物の名医さんが、もし小鳥に向けた繊細な気遣いのままに子どもに接するお父さんだとしたら、ちょっと気を使いすぎで子どもにとっては少しめんどくさい親かもしれないな、などといらぬ心配をしてしまいました。
 ちなみに、ペットは飼い主に似る、これはかなり真実のようで、元の飼い主の娘に似ているらしいインコは、お医者さんに「この子の鼻の色はどう考えても男の子みたいにみえますねえ」といわれてしまったのでした。こんなに紛れもなく女の子であることを証明する病気だったのに。やれやれ。

懐かしい桜並木の孤独な散歩

今日はすこし風が強いぶん空が青く、桜が美しく映える天気だった。一年前に引っ越してきたときにはもう桜は終わっていたから、子どもの頃に毎日飼い犬と散歩に通った川沿いの桜並木を見るのは今年がはじめてだ。風景が大きく変わっているからか、数十年ぶりなのに郷愁はあまり感じられないのが不思議である。
この季節、大学の非常勤講師にとっては、長期の休みの後のシーズン開幕前で、なんとなく鬱々とした気分が抜けないのが常である。桜の開花とともに杉の花は時期を終えたとみえて、花粉症は消えてくれたのに、どうもさわやかな気分になりきれていない。今年はどうにもご時世が明るくはないから余計だろうか。
それでふっと気づいた。この地に来て一年になるのに私には所属する集団がひとつもない。物心ついて以来こういう状態であった経験はないように思う。いわゆる不安定な非正規雇用の人にはありがちなことだが、ほんの数時間講義をして帰る大学非常勤講師は並外れて孤独な職業である。小さい大学で10年くらい通ったところでは、馴染みの受付の方と親しくしゃべることもあって、同僚といえるような関係もあったけれど、そういう場に出あうことはむしろめずらしい。
引っ越してくる前も職業の状況に変わりはなかったが、地域で様々な集団に属していた。子ども関係のものも多かったけれど、自分のフットサル仲間もあったし、さして努力しなくても、古典的社会学者ジンメルが描いたように、網の目のように広がる社交空間のなかで、私という個人の人格は支えられていた。子どもと職場もなく転居すれば、いとも簡単にこれらは失われる。しかもここは私が子ども時代を過ごした地元である。適度に都会のこの空間では、みな転居し知りあいなどほとんど残っていない。
日本という社会には、様々な人が気軽に出入りをする社交空間がなかなかない。人を家に呼んで集まることも稀である。自分ではわりと呼ぶほうだと思うが、他の人がやっているのはあまり見聞きしない。皆忙しくそれぞれの生活があって、手いっぱいなのだから当然である。だから、子どもも職場もない大人が移動してきたとして、地域で人と知りあう機会は相当の努力してつくらないとできない。
かなり社交的な私でさえ簡単にこうなるのだから、孤独感や生きづらさを抱える人が多いのも、身にしみて理解できる。日本には西洋的な言葉の意味合いを持つ社会(ソサエティ=社交)がどこにもないんじゃないか、とつくづく感じる。人々がその代わりに密に閉じこもろうとしている親族という集団も、あらゆるところで綻びを露呈している。そんな時代に、どうやったらこの地で適度に開かれた社交空間なるものに出会うことができるのか、創ることができるのか、まだ思案する日々が続きそうである。とはいえ、夢想にふける物書きとして生きるなら、この孤独な空間は有り難く与えられたものと感謝するべきなのだろう。