KK先生へ:寒中お見舞い申し上げます

 今年はついに年賀状を出せずじまいでした。いただいた皆様に返信しておらず申し訳ありません。これまでごく少数の方々には住所でしかやりとりができないので、はがきを送り続けて参りました。でも、そのお一人である大切な小学校時代の恩師がときおりこのブログをのぞいて下さっているということで、ちょっと安心感を持ってしまいました。
 というわけで、この場を借りて私信をしたためることをお許し願います。

 先生、お元気でいらっしゃいますか。昨年度は人生でもっとも仕事に傾注した一年だった気がしています。そのせいか充電が切れたかのように、年末年始にはすっかり休憩してしまって年賀状を書くパワーがついに残っていなかったのかもしれません。
 昨年は下の子どもも大学を卒業して独り立ちの道を歩み始めたこともあって、自分の人生を振り返ることも多い一年でした。私がいま大学という場で研究とともに学生を教える仕事をしながら、いつも思い出すのは、小学生時代に幸せな学校生活を体験できたことです。ボーッとして忘れ物も多かった私のことを、怒るでもなくダメだしすることもなく、楽しんで見てくれていた先生のおかげで、いまがあります。どちらかというと私も学生の個性をとことん楽しむ教員でありたいと思うのは、その経験と積み重ねてきた知識があるからかもしれません。
 学校での勉強風景は何一つ記憶に残っていないのに、クラスでの出し物で「ももたろう」をやり、きびだんごにかわるお菓子をどれにするか悩んだこと、(時には先生のバイクで一緒に)教室で飼っていたカイコのために桑の葉を探し回ったこと、などの特別活動は、鮮明に覚えています。それに、先生が主宰されていた郷土史クラブで拓本を取りに近隣を歩いたりもしていましたね。
 今思えば、かけがえのない経験が単なる「勉強」という枠組みを超えた「学問」への一歩を私にくれていたのでしょう。そんな環境がなければ、私は学校という制度の中で、退屈して精神的には死んでいたのではないかとも思うのです。
 当時から書き始めた日記は、断続的に学生時代が終わるまで続いていて、その中で養っていった練習は、いまも仕事になっている「書く」という行為へともつながっていったに違いありません。先生との出会いが小学校のうちになかったらと思うと、ぞっとすることもあります。昨今は学生たちがあまり幸福そうでない小学生時代を過ごしているようで、気がかりが募ることばかり。教育に対して、窮屈なしばりが増え続けていていまの時代にはこんな体験はかなわないのかもしれませんね。

 子ども時代の全てが幸せだったわけではありませんけれども、先生のクラスで学んだ時期にはとても楽しい思い出が山積みです。いまでも人に教える立場のはしくれにいるのは、間違いなく先生のおかげでしょう。あたらめて感謝いたします。これからも自分らしい原点に立ち返って仕事をしていくためにも、大切に思い返していくつもりです。

 では、今年が皆様にとって幸い多き一年となりますように。