晩秋.ソウルの横顔

 こんなに近くにある国なのに、初めて韓国に行ってきた。気軽に旅行にでかける日本人で飛行機は満員。時差もないし、1時間半もすれば着く。まるで普段の東京出張みたいな気楽さで到着。それでも、ここはやっぱり外国だった。残念ながらお仕事出張なのでずっと大学に缶詰だったし、学期中だからトンボ帰りでほんとうにちらっとしか眺めていない。その記憶の断片を綴っておこう。
まず、大学の規模、豪華さ、立派さに圧倒される。ゲストハウスに泊めていただいたのだけれど、日本の国立大学にはみかけないもの。学内のレストランだって、ちょっとサービスは官僚的なところがあるにせよ、とても高級。味の方は、当然おいしいけれど、週に一度は韓国料理店に行かないと気の済まない私としては、逆に日本の庶民派レストランの方がおいしく感じられてしまう。「マッコリ」などは大衆酒だから置いていないとか。大学は上層エリートの集まる場所なのだ。まあ、気楽さ十分の日本の大学も悪くないかもしれない。
韓国の学歴社会は日本の比じゃないほどキツイ。文字通り睡眠を削って猛勉強するとのこと。結果的に優秀なのもあたりまえで、エリートであるという自信がみなぎっている。何かこう日本だと、もうちょっと遠慮がちな態度になりそうなところが、堂々と振る舞う韓国の教員と学生である。
その一方で地下鉄内には行商するおじさんが乗り込んでくるし、道ばたでは近くの川で取れたと思われる魚がたらいで生きたまま売られている。大学生は英語がみんなよくできるけれど、一歩外を歩くとインフォーメーションの人にも英語は通じない。高層マンションがまとめて立ち並ぶ地区と、平屋の商店がつづく地区。まるで上下に分かれてしまった階層を象徴しているかのよう。うーん、上を目指して登り続けないといけないのか。韓国には日本のような緩さはないなあ。だから、逃げ出してきています、という学生さんにも日本で出会ったことを思い出す。
ワークショップではワークライフバランスと出生率をめぐって議論が交わされた。合計特殊出生率が日本よりも低い韓国。その差はほんのすこし「緩さ」があるかどうかのことで、2つの国はやっぱりどこかきょうだいのように似たものを抱えて苦悩しているように思う。

日常に紛れているうちに闇が近づいている

 いろいろと心配したことがあたってしまうほうだ。でも、今度だけははずれてほしいと強く願っていることがある。いま強く心配しているのは、何事もなかったかのように振る舞おう、平穏であると信じよう、みんなで助け合あおう、という「空気」を乱す輩を「非国民」という位置取りへと追いやる、社会のシステム変化である。もう1ヶ月くらいまともに寝られていない。
きっと昔からこうだったのだろう。戦争が止められないうちに起きていった、つい半世紀前の人々も。私も日常に紛れているうちに日々過ぎている。授業の準備に、発表の準備に、と日々追われているうちにひたひたと危険な闇が増殖している足音を感じて恐怖に苛まれている。ハリーポッターで書かれているのは、これだったのか。
それぞれの持ち場で、仕事や日常の中で踏ん張るしかない。でも、闇の力は強力なので、からめとられる。流される。もう何年も前からそんなことばかり考えて生きている。みなさんは、どちらの側で生きていかれますか?私は、最後の一秒までハリーポッターの側にいます。それはたぶん大変なことだし知恵をしぼらないと周りにも迷惑がかかる。そうならないように、いまから布石を打っておこう。縁を切りたい方は早めによろしく。
検索の場にも何かが介入している。反原発の関係者の固有名詞など特定の個人のキーワードを入れるとへんな固まり方をする。情報がいつまでネットで読める状態であるかすら、わからない。発信できなくなる日が来るかもしれない。
若い学生さんたちと接することが多いと、余計憂いてしまうのです、将来を。彼らはみな素直でいい子たち。闇を操る人々にはこれほどありがたいことはない。心優しい人がこんなにたくさん溢れている。震災で傷ついた人を癒そうと多数の人が実際に行動をしている。なのに、なぜ心配するのか?そんな行動をしない私が。
心優しい人が多すぎるから、心配なのです。重大なことが起きてから、みんなで慰めあい、美しく散ることを受け入れてしまうこの社会のシステムを、目の前でみせつけられるから。くることがわかっている地震や、原発事故を予測して避けることをしないで、事後に嘆き悲しむことを繰り返す社会の一員に、すんなりととけ込むことを、私はしたくはありません。常に未来を見て動こうと思うのです。