川崎登戸事件:日本システムの光と闇が遭遇した不幸

 なんとも気持ちのやりばのない事件だ。殺人を犯した岩崎隆一は本人に責任を帰すにも厳しい身の上で育った。幼いころに父母が別れて以来、伯父夫婦の家に身を寄せている。同居の親族はできるだけのことを彼にしてやり、「本人の意志を尊重する」という、あたりさわりのない対応をしていた。公的機関は介護支援を求めた伯父たちによる千載一遇の機会を逃したとはいえ、担当者がシステムを超えて動きようもないケースであっただろう。誰にも目立った落ち度はみつからない状態のまま、2人が殺害16人が傷害の被害にあい、加害者は自殺をしている。

 これは社会が引き受けるべき事件なのだと、私は思う。
 伝えられているところによると、幼いころに引き取られた家にいた従姉妹がカリタス学園通っていたという。もしも身近な親族に不満が蓄積していたのなら、彼はきっと直接親族に刃を向けたであろう。でもそうはせずに、わざわざ電車にのってカリタス学園の小学生の列まで出向いている。カリタス学園は、彼が目にしていた光り輝く日本社会の側面を表す象徴にすぎず、個人的な怨恨ではないのだろう。現在の自分を生み出して省みることのなかった社会への復讐が、不幸にも幼い子どもたちの待つバス停で果たされてしまった。

 幼いころから親の手厚い庇護を受けつづける人と、貧しかったり虐待を受けているのに誰からも手を差し伸べられることなく子ども時代を送る人の差が広がっている。中学を卒業したころから、生涯を通じてこの別れた人々の群れは顔を合わせる機会がない。同窓会に来るのは羽振りのよい光の側だけである。日本社会の表と裏はべったりと貼り合わされている。光は闇があればこそ輝く。そして、不幸にも光と闇は同居して育ち陰影は深まっていった。

 ひきこもりの70408050問題に「支援」という言葉は馴染まない気がする。4050の当人たちは「助ける」などと上から目線で言われるのは嫌だろう。伯父が手紙で「将来どうするつもりなのか」聞いた時の返答が「自分は洗濯もするし、食事も作れるから閉じこもっているわけではなく、ちゃんと生活している」であったように、本人は高いプライドで身を守る。けれども食事も小遣いももらいながら一室に暮らすという状態は、紛れもなく伯父夫婦に生を依存している。その自覚があるからこそ辛い。そこに「支援」すると言ったとして「そんなものはいらない」となるのも理解できる。

 人は生まれ落ちてそこにいるだけで価値ある存在として尊ばれる権利がある。現代日本にはその権利を実感できずに暮らしている多数の人がいる。岩崎隆一はその1人であったにすぎない。50歳になる「健常な」大人が仕事をしていないとどういう目で人が見られるのか、日本人はみな知っている。どれほど人手不足でも特定の履歴の人間を社会は受け入れない。まともに働いて暮らすことを厳しく要求する世間に対して、年を経るごとに人は心を閉ざす。

 生きてそこにいさえすればよいではないか。だから伯父には自宅に「いるような、いないような」と言ってほしくはなかった。幽霊じゃあるまいし。別に世話をしなくてもよかった。ただ、「彼はここに住んでいるよ」と存在を認める言葉が聞きたかった。彼はすでに、死んだように生きていたのだ。