「プレニテュード:新しい豊かさの経済学」読後感想

なんだかことし一年中、外の世界のことで頭がいっぱいで心が折れそうになりながら過ごしていた気がする。そんな年の終わりに、ジュリエット・ショアーの新作が翻訳出版されたので、ほぼ一気に読んだ。この人の本は修士論文書いている時にゼミで教えてもらった「働きすぎのアメリカ人」以来必ず読んでいるのだけれど、いつも心に添え木をしてくれる。岩波書店はやっぱりがんばってるな、とあらためて敬意を表したい。
時間にかかわる経済学を研究している彼女。ハーバード大学経済学准教授だったのに、結局ボストン大学社会学教授になっている人。どうして経済学からはみ出さなくてはいけなくなったのか、が本を読むとよくわかった。ずっと過剰な消費と働き過ぎを問題にしてきた彼女が、しっかりと環境問題に踏み込んだ記念すべき著作なので、それはもう期待がふくらんでしまった。という意味ではやや期待には応えてくれなかったのである。それは同業者としては安心、ということでもあり、ぜひいつかお話してみたい。遠いところにでも似たようなことを考えている人がいる、と思えると生きる勇気がわく。
本書では、GDPという経済指標の寿命がつきようとしていることがはっきり表現されているし、主流派の経済学という学問の足場が揺らいでいる様子も示されている。シェアする経済のトレンドにも触れられている。消費大国アメリカにもしっかりとしたエコロジカルな生活への流れはつくられたのだ。けれども同時に、その影響が及ぶ範囲はまだ小さいと実感させられてしまう。
話題の中心は、労働時間を短縮するということがいかにグリーンであるか、というところにある。1つには収入が減るということが直接に消費を抑制する上に、時間を使うことで資源や環境に負荷をかけない生活が可能となるというものだ。それ自体に異論はない。
ところが、ここ数年私もずっと研究してきてはっきりしたことがある。アメリカよりもほぼ唯一労働時間の長い先進国である日本では、労働時間を減らそうにもかなわない構造になっている。つまりダウンシフトができる層が少ない。低所得の人々は、まさに生存を支えるために(夫婦で)長時間労働をしており、高学歴専門職の過剰労働が問題化している欧米とは全く事情が違うのである。まるで資本主義の黎明期なのだ。よくあることだけれど、輸入してもそのまま使えない議論となるわけで、社会科学はそこがめんどうなところだ。
ということで結局は孤独に引き戻されてしまった。学問は孤独に耐えること、とある先生は言っていたなあ。それで私は孤独じゃないスポーツにひかれるのか。来月のフットサル復帰に向けて、しっかり準備しよう。