ジョブズ亡き後の世界を始める

なんとなくずっとappleユーザーである。私が選んで買った訳ではない。同居人がかれこれ20年ほども前に初めて買ってきて借りることから始まった。ただ、なぜか学生時代から知人にMacユーザーがいたのでそのすごさは知っていた。といっても、高くて手がでるものじゃなかった。SE30,ibook,G4 cube, macbook,mac book air...他にも手にしたものがある。ああ、すごい投資額。もちろん、iphoneも忘れちゃいけない。所属先の大学院の部屋も、なぜかmacのネットワークだったし。当時はかなり珍しかったはずである。
でも、ジョブズをカリスマだと思ったことがなく、そもそもあまり関心がなかった。名言集というものも今日初めて見た。そんなに、面白いかな?なんだか普通の言葉にしか聞こえないんだけど。あらためて彼が神格化されていたことに気づいて驚く。彼ほどそういう言葉が似合わない人もいないだろうに。
私はいい製品が欲しかっただけ。だけれど、いい製品が売れる、という状態は意外と起きないものだ。MS-dosの世界からWindowsに移行した時、appleユーザーはみんな思ったはずだ。いまさらなにやってんの、と。でも結局Winが席巻した。職場が、学校が、周りがそうだから。NECとdocomoがやっぱり安心感を与えるらしい。親とはその話題で険悪になったこともある。結局、いまでも世界はWindowsのままだ。しかしiphoneはどこにもなかったから、最初日本で発売されなかったとき、本気で移住したかった。いまは、電子ブックのコンテンツがない状態を、ただ耐え忍んでいる。アメリカ人になってkindleで暮らしたい。Reader もいいんだけど(ipad はあまり食指がわかない私)。もう日本語の本を買うのやめようかな、と思っても仕事柄無理です、さすがに。でも、どうせ少したったら入ってくるはず。メディア業界の抵抗はいつまでも続かないことを、歴史は教えてくれる。
少しだけ彼の地がうらやましいところはある。ジョブズが生まれおち、華々しく生きることに成功したアメリカという社会が。いまもきっと世界のどこかで新しいジョブズが誕生しているはずだ。そのことに世界はまだ気づいていない。誰も気づかない時に認めて育む。ジョブズがすごいというより、認めていった周りの世界がすごい。その人たちがいなければ、私は彼の製品を手にすることもなかったのだから、心からありがとうといいたい。
この国では、人がやらないことをしようと思うと、たぶんアメリカより大変で文字通り生きていくだけで苦労する。いまきっとどこかで日本のジョブズが青息吐息。ジョブズ亡き世界を嘆いている暇なんかないはず。私は6日が誕生日。新しい世界を始めるにはいい日になった。