卒原発のための環境社会学講座: 2) 毒物問題として原子力を扱うべし

慌てた官僚や政治家たちが、卒原発を「実現不可能」とやっきになってリーク中である。きょうは、まず、原発とは「エネルギー問題」と切り離して考えてよい、という話をしたい。じゃあなにかというと、伝統的鉱毒や化学物質の安全性などをどうするか、という毒物を扱う公害防止視点でよいのである。石原のおじいさんが、記者会見で「きみらわかってないのに、脱原発とかいうな」と、吠えていたが、知らなさすぎなのはあなたでしょう。
原発が、100歩譲ってエネルギー的に有用だと認めてもかまわない。でも、生き物に危機的に有害なものを出すことは確実だ。普段からも放射能は漏れでていて、働く人は危険にさらされてきた。それでも、見て見ぬ振りをされてきたのは、広く一般の人々の触れるところに出さないし、出ないという前提だったからなのだ。でも、時に毒物が出てしまうことがはっきりした。だから、30km圏にヨウ素剤を備蓄するだのという恐ろしい計画を出すひとは、決定的に勘違いをしている。そこまでして害毒のあるものを、人間は使い続けられない。それは歴史が証明している。
例えば、PCBやアスベストなども、有用だったけど害があるから結局使わなくなった。ついこの間まで石炭をストーブにさえ使っていた日本人も、もうあまり使わない。いまでも石炭は安いし、埋蔵量も世界中にある。なぜ使わなくなってきたかといえば、掘る時から汚く危険で、燃やすと空気が汚れて体にもよくないから、先進国では不人気になったのだ。安いから産業によい、と使い続けられるのは中国のように市井の人々の権利がないがしろにされがちの国。どう考えても原発は石炭と同じ運命をたどるしかないのである。安くて産業によいからという論理で人々が我慢しなくてよい国が、民主的で人権配慮の行き届いた文明国の証しだから。家父長オヤジが原発好きなのは偶然ではない。人権がいきわたってほしくないからだろう。
放射能汚染は目にみえにくいので、石炭よりも毒性がわかりにくい。一見クリーンにみえる。そこが長らくごまかしがきいた理由かもしれない。さすがにそろそろ妙運はつきようとしている。歴史に敬意を払い無駄に逆らうことなく卒業しよう。
そして、日本全体の一次エネルギーでみるなら、原子力がフルパワーで動いていた時代でも、1割にすぎなかったことを思い出そう。たった1割のために、劇毒物をなんで我慢して使う必要があるのか?と素直に質問すればいい。原子力自動車も原子力高炉もない。私たちは結局石油漬けのまま暮らしている。それがいいとは思わないけれど、とりあえず毒性は低いほうが安心なのだ。例えば天然ガスなら、自然界でも湧いてくるものだし、セシウムやらウランよりずっと生物にはまだ馴染み深い物質である。
エネルギー論争に突入する前に、原発廃止という答えを出してもよい理由は「体に悪いものを出すから」。3.11以後のオーガニッック化粧品ブームの広がりはすごい。みんな身体にこれ以上毒物を取り込みたくないのだろう。無駄に原子力を怖がっていると非難する人は、どこかフツウの感性を失っているように、私には見える。

卒原発のための環境社会学講座: 1) イントロダクション

「未来の党」の理念にひとまず希望をたくす時間をもらえたことが素朴にうれしい。嘉田由紀子さん、あなたがいまはじめての女性首相に最も近い方だと確信しています。
私は30年以上、原発もなくし気候も変動させないためにどうしたらいいかを考えつづけてきました。学生さんにはずっと断片的に話してきたので、そろそろ本にまとめたいといいながら、先伸ばししています。来たる選挙に向けまにあわないので、急遽ブログに落とそうと決意しました。

なぜこんなことを考えつづけているのか?私は社会学者としてはどちらかといえば、「家族」の研究者と思われているため少し前置きをすることにしました。大学入学前から環境と公害問題に関心があったのですが、「公害を出す側」の論理をしっかり学ぼうと資源工学をやりました。予想通り、当時公害問題が生じたことさえ、カリキュラムの中にないのが工学の世界。ですので、「原発研究会」というサークル活動で自主勉強。他にもほそぼそとエコサークル活動をしたり。リサイクルなどまだ広がっていない時代、なぜ大学内にリサイクルシステムがないのですか?と著名なゴミ問題の専門家であった先生に質問にいったのがご縁で、環境政策のシンクタンクに就職を決めました。
卒論では当時出始めのグローバルな環境問題の一つ「酸性雨」をやっていたことから、入社してすぐにIPCCに備えて、地球温暖化問題を担当することになり、英語の原著論文を集めて読み、まとめる作業に日々追われたわけです。これは将来の気候がすごいことになってしまう、と深く憂慮したけども、その技術的解決策はみえませんでした。それが社会学者になった理由の一つです。その時予測されていたことは、20年後の今現実の気候変化としてすでに表れはじめています。

この講座では、過去10年ほどの間の、立教大学「環境のデータ分析」武蔵野大学「資源エネルギー論」、明治学院大学「社会学特論」駒澤大学「環境社会学」などで話してきた内容から、学生さんが「全くしらなかった」「もっとはやく聞きたかった」などの感想をよせてくれたなかできづいた、意外とマスメディアでは報道がわかりやすくなされず、よく知られていない視点を取り出して見るつもりです。間違いなく重要な争点となる原発、環境、エネルギー問題について考える材料の一つに加えてもらえればうれしいですね。

ちなみに、私は原発について再稼働せずに撤廃の立場を支持しています。それはもちろん可能だし、そうしたいかどうかは一人一人が決めることで、専門家や技術者や官僚にお任せしてはいけません。素人として、原発をどうしたいかあなたが判断すればよろしい。それが社会学の正統な議論から引き出される教えの一つでなのです。

社会はどうしたら変わるのだろう

 もう相当に前から、みんな世の中を変えたいのだと思ってきた。小泉政権も、民主党の政権交代もそうやって起きたこと。そこに、3.11だったわけだから、「とにかく変えたい」エネルギーは、爆発寸前に充満してる、と信じてる。私も例外ではなくて、そのまんまタイトルの小熊英二の「社会を変えるには」とか、坂口恭平の「独立国家のつくりかた」を読んでみたり。相当にせっぱ詰まった気分を時代とともに共有してる。ただ、予想通りそこに自分がほしい答えはみつからなかったから、ここでぶつぶつ考えてみる。
 この国の歴史を振り返ると、すごい人は現場に結構いて時代の先を読んでる正しい主張をしてきたリーダー的存在の人も必ずいたし、普通の人もみんなもかなり賢明な気がする。なのに、「全体システムとして」行き詰まっていった事例にことかかない。これを繰り返してきたわけで。さらに管直人が「東電福島原発事故:総理大臣として考えたこと」を読んだりすると、またためいき。ありがちな状況で、そこら辺の組織でおきていそうな事象が確認できるだけ。
 第一歩をどうしたらいいのか、私の中でははっきりしている。「長いものにまかれない」で立っていること。丁寧に周囲に説明して変えることや、変わっていることを受け入れてもらう努力をしてきた。時々は痛い目にあいながらも、それで世の中を歩いてこられたし、できることはしてきた感がある。事実婚で、子どもの姓も2つあったり、ずっと学生には脱原発が可能だと話してもいる。子育ての常識にも疑問を呈してきた。個々の人間の関係性そのものが変わらなければ、社会が変わったとはいえないと信じているから、関係性をはぐくむ場所として幼児教育という現場に望みを託している。
 でも、そんな考えかたが社会的に広がりを持ってきたのか、といえばそうでもない。20年前と社会が変わったようにはあまり感じられないし、中高年だけではなく若いはずの学生でさえ一時代前の常識にしばられて、がんじがらめのままである。それで元気ならいいが、生き生きと幸せなようにはみえない。親たちは、とにかく現在の社会で安定した居場所を見つけさせることに熱心だ。組織人は、上から降りてくることをこなすだけでいっぱいいっぱいである。近い将来に、人々をとりまく環境がどれほど変化してしまうのか、予測もつかないほどなのに。
 ここしばらく、社会の閉塞感にエネルギーを持続させられなくて、へたりそうになっているとき、映画「ペイフォワード」を DVDでみた。自分が「社会によいこと」を3人の人にしてあげたら、それをお返しされることは期待せず他の3人にしてあげる、という連鎖のアイディアを出した少年の物語である。実は私も似たような構想を実行してみようとしているし、贈与論を研究のテーマの一つに入れてるから、とても興味深い映画だった。最後はちょっと悲しすぎたけれども。
 それから、電車通勤帰りに知り合ったとある高齢女性の生き方に圧倒されている。少し前の時代に女性が一人で生きていくって、それはそれは大変なことだったはず。齢85過ぎていて、身よりない中で一人ネットワークを構築してたくましく生活してる。自分には合わないから、と老人ホームを退所してきたという。一人の友としての会話が楽しい。親族や家族に頼らない人生のまっとうのしかたが聞いていて潔く、どちらが精神的に若いのだろう、と頭がクラクラしてくる。私なんか、彼女に比べたらなんて保守的な人生。
 結局変えたい人は、さっさと変えているんだ、まわりがどんな状況でも。ということは、じつはみんなまだ変わりたくないから変わらないのか。変える勇気がないのか。このブログを書きながら、そう理解してきた。それにしても中途半端に古い常識にしがみついてる人たちの家族は、どこかうまく回転していないような気がしている。
 佐藤俊樹のいうように、末端まで痛みが伝わらないと変われない。予測で変われない。これが日本社会。良くも悪くも一挙に変わるときには雪崩をうって変化する。少しでもましな方向に雪崩をうつようなつつきどころを、日々探して積み重ねよう。看板だけかえたところで何も変わらないという繰り返しに、そろそろみんなが飽き飽きしていると信じて。