目新しいことづくしではじまった新年らしく、個人ウェブサイト「海辺の菜園」を作りました。第1世代のブログから数えると3代目。この間に世界はSNSへと移行。どう発信したものか考えつつ右往左往してFacebook とInstagram とBlog と個人Siteに収束しています。Twitter は何回か使ってみたことはあるけれど、合わないし気が乗らない。トランプ大統領のイメージが染み付いて気分が滅入る上、私には短すぎました。フォロワー数を獲得する競争にはどのみち向いていませんので、参入しません。
常勤職をやめセミリタイア宣言をしてもうすぐ2年。ようやく充電期間を取れた気がして〉“放電”を始められる気がしています。そこでいっぷう変わった表現形式を探ります。論文や書籍という形式で書ける内容には、いろいろな制限があります。編集を経るから人の目が入る良さがあり、専門家に認められた証ともなります。間違いがあれば修正され、印刷革命以来の人類の知恵が到達した方法であることは認めます。でも、あたりまえですが、特に論文は現状の学術界を反映し、書籍は出版界を反映する以上時代からはみ出た内容は認められません。変化の早い時代にそれは不利な特性。わずかでも必要とする人がいたら届けたい話はいろいろあるけれど、おいそれとは出せません。
あらゆる情報がウェブに乗るようになると、紙の本にお金を出して読む人とそうでない人の溝は拡大します。学生たちだけではなく、私も結局ウェブに書かれた文字をタダで読んでいる時間が格段に増えているのが事実です。この流れは必然でとめられないでしょう。その内容は専門家にオーソライズされていないものばかりで、広告であったりする魑魅魍魎。でも実際には読まれて使われていくし、役に立ち真実である内容も多いわけで。
いくら専門家が「それは素人によるものだ」といったところで、止められない。「玄人の判断だから正しい」、とも言い切らないのは社会学の学問に内在する論理によっています。現在の学術界を席巻している「論文」システムには歴史がありますが、どうも負の側面が目につきはじめています。人間がどう知恵を集積して情報が選択されていけば社会はうまく流れるのか、技術環境がインターネットの浸透で劇的に変化してしまった現在、書き手と読み手の関係性も、表現形式も見直されていくでしょう。
大学教員なので講義のために多くの本を読み準備してきました。けれども、良心的に講義しようとすれば自分の見解ばかりを語れるわけではありません。自分のなかに蓄えられた知恵のほんの一部しか語ってはいないし、字にしていないなか、もうすこし書き残したほうが社会の知恵の集積に寄与するのではと感じる時もありました。私が知っていることを知らない人や、知りたい人はどこかにいるかもしれない。そこで、個人で切り取ったテーマごとに綴るエッセイを即興的に書いていこうと思います。間違えることもあるかもしれませんが気づいたら誰かに教えてもらいましょう。そう、100%正しい言説などもとよりないのですから。
従来型の形式にとらわれずにアウトプットを増やすことが、2019年の私の目標!