令和元年の災害は気候変動の記憶として留まる

 千葉はこの秋3回目の、台風がらみの災害に見舞われている。ついさきほど避難指示の警報が鳴った。授業にいくはずだったのに、鉄道もバスも止まって交通手段がなくなってしまい、宙ぶらりんで自宅にいる。自宅はマンションの上階なので洪水のために避難はしないが、窓からは何も見えないほどの雨が降っている。きょうは平日昼間。台風は遠くを通過するからとたかをくくっていた。自分もあやうく情報を入手する前に冠水地帯に車で突っ込んでいた可能性があり、冷や汗(^^;;. バスを待ちながら(結局来ない)強風で体が倒れそうになり、「飛来物がいま来ませんように」と祈ってしまった。県民の皆様の無事を心から祈っております。

 もう30年も前の仕事でIPCC第2作業部会のための、地球温暖化の影響評価に関する文献研究など下準備にかかわっていた。当時すでに将来に起きうる被害について大量の知見が蓄積されていた。私はそのはしくれにもならなかったが、大勢の研究者や政策決定に携わる人たちが、専門知の垣根を越えて地球温暖化問題の周知に努力し続けた。けれど、気候の変化をとめることは叶わず、ますます世界の気候が酷くなってここまで来てしまった。村上春樹じゃないが、やれやれ。そしてもう悲しいね。かつての研究者と「もうとめるのは無理かも。適応するしかないね」とつぶやきあったのが10年前。しかし、「適応」も簡単にできることじゃない。

 台風の強大化、歴史上最大の風速の更新、記録的な豪雨の連続。豪雨回数の増加は、温暖化に伴って正確に予測されていた典型的な変化である。
 気温上昇で空気中の水蒸気が増える→地球に重力がある限り水は地上に戻ってくる→雨が(降りやすいところで)増える。
 日本は海に囲まれて乾燥より豪雨系。しかも普段から台風被害にさらされる地なので、まるで生贄のように、風雨の被害を受けやすい地理的条件が備わってる。

 さすがに、今年の災害は人々に、気候の変化によるものとして記憶に留められるであろう。九州や関西地区はもう長らく気候の変化にさらされてきたけれども、今回首都圏に及んだから。残念ながら「中央」の人は自分が危機にさらされないと気づかない。まだ東京は雨にも風にも強かったのになんだかんだと耐えたから、大丈夫だとまだ気づいていない人も多いだろうが。

 私たちの生命の元となる食べ物はどこから来るかいつか思い知らされる。そう、今回甚大な被害を受けた千葉や福島、そして長野。田舎に住む人たちが自然の災害続きで「農業や漁業なんてやっていられない」となったらどうする?若く活力にあふれた中年の農業の男性が「もうこれ以上できない」とインタビューで答えていたのをみた。お金を考えたら、もっといい仕事はあるのだから。ただでさえ高齢者がギリギリで支えている農漁業をこれから誰がやる?世界から食糧なんて安いものは、買ってくればいい?でも、世界中でこうなるとしたら?食べ物が入手しにくくなるかもしれない。

 気候変動の恐ろしさは食糧危機とそこからの紛争にあると考えている。世界中の人が生存のためのサバイバルゲームを始めている。日本の低い食料自給率で安心して暮らせというのは無理だ。公は災害時もそうだが、頼りにならない。先の戦争でも武器はガンガン作るが食糧は後回し。戦地にも持参せず現地調達をさせたりしていたわけで。後方支援に関して、日本社会の支配層にはまるっきりセンスがなかった。食べ物がなくて戦地で餓死ばかりさせた歴史的事実は動かせない。

 私がささやかな菜園を始めた理由の1つはこの食糧入手への切迫感とともにある。園芸がそこそこ趣味の自分が、余って放置されている土地で農産物を作れば、他の人はその分食糧を入手しやすくなるはず。この菜園でも、秋まで取れるはずだった野菜は一部倒れてしまったけれど、今年始めていてよかったなと思っている。

 

 

千葉の台風被害と認知の遅れ

 千葉県民になってから今年で8年目になる。大震災の被災者に足元にも及ばないけれども、停電と断水生活を送り、軽いながら被災経験をしたら、少し世界の色が変わってしまい、まだ元に戻らない。

 9月9日月曜日の早朝に、台風15 号が千葉のど真ん中に上陸して猛威をふるってから丸4日。9月13日金曜日朝、いまだ20万戸近く停電がつづく。私の地区は1日半で復旧していたのでわりと早いほうだ。それも相当に長い時間に感じていた。信号機のつかない道路を様子をうかがいながら、移動し、あらかたしまった店舗を横目に、空いてるところでどうしても必要なものを調達する。幸い一番近くのスーパーがなぜか停電を免れ、いつも閑散としているのに、駐車場が遠方からの車で埋まっていた。「あー、ここにはなんでもある」と歓喜している人たちを見た。当然、すぐ食べられるものは売り切れて入手できない。

 リアルサバイバル生活から、抜け出したあとしばらくは「ああ、電気をつければ点く」とか「蛇口から水が出てくる」と感動し、熱中症気味の頭で疲弊して体もしばらく動かなかった。移動してくるとき、電車に乗り合わせた父と幼稚園児くらいの娘たち「あー、助かった〜」と電車のエアコンと電気に喜んでいた。気持ちは痛いほどわかる。苦労していたんだろうな、無言の父の疲れた表情。おそらく、どこかへ一時避難するのだろう。

 大荒れの台風で眠れぬ夜を過ごし、朝になって周りを見渡すと無残に壊れているもの、飛ばされた屋根瓦などが見えて、これは大変なことになってるな、と情報検索をして調べたら、最寄駅は屋根が壊れて当分電車も動かない、という状況だった。(当初はわりと4Gはまだ繋がっていた。)これはだめだ、きっとこのへんは当分復旧しないと腹をくくった。けれど、そのときのマスメディアの報道は、世田谷で風にあおられて転倒した女性が亡くなられたことと、あとはひたすら東京における交通の混乱に関する報道に終始していた。家が壊れている人が大勢いるはずなのにな、と不思議だった。

 上階からの雨漏りで天井から水がしたたっていて水を抜いたり、ベランダをかたづけたり、菜園の様子を見に行ったりてんやわんやしていたら、昼過ぎに自治体の防災無線が聞こえてきて、「浄水場が停電で動かないからもうじき断水になる」と。ありったけの容器に水を汲みおきして備える。ガスがあれば電気がなくても昼間はそう困らなかったけども、断水は相当不便になる。そのまま夜を迎える。キャンドルで闇を楽しむ余裕もあるし、電話はだいぶつながりにくくなってはいたが、まだ家族と状況を共有する余裕もあった。

 一夜あけても相変わらずニュースやSNSでも千葉県民が生活に困っているという話題はあまり出ていなくて、成田空港で足止めされている人へのインタビューとか、やっぱり報道は「東京都へのアクセス」問題を追っているように見えた。そして内閣改造で小泉氏に記者が群がっていた。震災のときには全壊、とか半壊、とか損壊がないかすぐに報道が入るし、洪水だって水に浸かった家が映る。そういう映像があまり出てこないまま、停電戸数がちっとも減っていない!と唖然とし、浄水場に電気が来てないくらいじゃ、優先順位相当低いな、と諦めて予定変更し移動(早めの避難)を決意。だんだんスマホも繋がらなくなってきて、音声が時折止まりながら、なんとか用事の電話をすませる。

 移動すると決めたので自分が持久戦に備える必要がなくなったら、ふと近隣に住む足の悪い高齢者のおばさんはどうしているだろう、と頭をよぎり、思い切って声かけしてみたら、「水がつきてきて朝から顔も洗えていない」と。飲用のお茶を確保していたけれど、暑くて熱中症になりそうな様子で困っていた。充電器を持っていなくて、電池も切れそうだという。トイレがいよいよ流せなくなっていた。断水を知ってすぐ風呂に水を貯めようとしたけど、間に合わなかったらしい。自宅の風呂残り水を運んで流ししばらく使えるように手伝った。おばさんは市役所に電話して「水をなんとか家まで運んでくれないか」と問い合わせたけど、ダメと言われたそうで「ここは冷たい土地だ」と嘆いていた。九州の人でかつて台風被害にあったらしく、その時は行政がよくしてくれたそうだ。おいおい、放置は人命にかかわるよ、市役所さん。

 私たちの部屋も車も無事なんだから恵まれてた(実際同じマンションでもガラス壊れた家もあり、車に穴が開いたり水につかったりしている人もいる)。普段はエレベータで降りて車にのって買い物できる自立している人で介護も受けていないけれど、停電断水で一挙に生命の危機に陥いる。一人暮らしでもないけど、夫も高齢で多くは運べない。給水車のところまで取りに来い、といわれても実際無理な人はたくさんいる。それにガソリンつきたら、給油に1kmの列!に並ばないといけなくなる。電車が動いていないから、移動手段は車しかないし。高齢になったら家はフラットでないと無理だなと実感。1000人並ぶ給水では、たとえ親切心があっても、自分が他人の分までもらって運べないだろう。幸いつぎの夜が来る前には停電が解消され、水や充電器や電池やスポーツ飲料をおばさん宅に供出し安心して、私は移動。

 弱者は自ら発信する力がもともと弱い。けれど電波がつながらなければ誰でも受信も発信も無理だ。あまりにつながらないので、私もしばらく返信するのを諦めた。役所の固定電話もダメなんだから、呆れるしかない。母は「固定電話あるから大丈夫でしょう」と信じていたけれども、昔の電話の話だよね、それ。電気に依存していない時代のほうがセキュリティが高いとは、やれやれ。公衆電話は次々消えてるし、どこにあるんだか。マスメディアの記者たちはすぐ現場に行き取材で走り回ったのだろうか?特に、NHKは災害報道体制をあれだけ敷いているのに、被害を掘り起こそうとしたようには全く感じなかった。今回の社会の認知の遅れに重大な責任がある。普段は東京に通勤している人も数多くいる一時間程度しか離れていない場所なのに。来て歩き廻り人にインタビューすればわかっただろう。

 メディア関係者はネット検索をしていれば情報が入ってくると勘違いしていないか?というのは、一次情報がちっとも増えず、熱中症で死亡が2人とずっと報道され続けたり、どのニュースをみても同じだったから。元ネタはわずかでそれを少しずつ加工して報道にしているニュースばかり。同じ情報がぐるぐる回っているだけ。心配して親の様子を見に行った子がTwitterで拡散していったりした話がようやく少しずつ出てきた。それ、先にメディアがやる仕事でしょ。順番逆になってない?この災害では、初動の報道があまりに弱かったので、親に連絡するのが遅れてそのうち電話がつながらなくなってしまい、心配していた友人もいる。

 堀潤さんも、「報道されていない」と訴えられてようやく来た。そのあと、取材箇所は鋸南町に集中。倒れた木や電柱だらけで先に進めない道の奥に、まだ孤立した人々がいるはず。停電が復旧しないのはそういう環境だからなのに、東電もその情報が集められていないから、何回も「予定どおりに復旧できませんでした」と謝罪を繰り返している。同じように現場への密着の弱さが露呈している。実際、自分で道を確保しようとチェーンソーで木を切断していた男性が倒れてきた木で亡くなったりしている。千葉の民は日頃から道具を備えていて(いや、ほんとにみんなチェーンソーとか普通に持ってるから)、自助や共助でなんでもやってしまい、行政は甘えている。声をあげたり助けを頼んだりするのは苦手だと思う。その人たちが助けて、と言いはじめている深刻さをわかってほしい。

 千葉県を地図でみてもらうとわかるけれど、半島でとても広い。しかも最高高度400メートルで低いから、別荘と地元民が混在してあらゆるところに住んでいる。その割には道が狭くて、国道は酷道とも言われている。その特殊性が復旧に時間を要してしまった。都市/地域計画の無策がこういう時に影響する。浦安や柏など、千葉都民の人々にとって、千葉市より南は日頃視野に入らない。実際、ディズニーランドも成田も「東京」だし。もし浦安に何かあったら、すぐ大騒ぎになっていただろう。実際、成田の「交通問題」は注目されていた。東京に通勤している人は、横浜市は多く千葉市は少ない。千葉は真ん中あたりで、分断されている。今回は千葉市から南に台風がひどい爪痕を残していった。台風の東南の風が強いのはよく知られているのだから、少し考えればどういうことになっているのか想像できたはずなのに。

 ニュースの価値のトリアージ?はどうなってるのか。東京への「通勤の足」より「家屋の損壊」とか「飲料水の不足」とか、「物資の調達」とか生命に関わる方をまずは心配すべきではないのか。工場への被害、とか農業、というのも無事だった消費者からの目線だろう。報道をする側の「都心中心主義」で、世界はねじれていく。地方在住の人がいつもその目線にさらされているのは、地方出身者の私もイメージできるけれど、今回は少し違った気がしている。北海道の停電や九州の洪水の方が、初動からの報道がまだあったと思う。近すぎで「首都圏」つまり自分たちの問題として、意識が「交通」に集中してしまい、直接被害がなおざりにされたのかもしれない。

 戦争末期、食べ物の調達のために東京から大勢の人が千葉に反物をもって頭を下げに来たと聞いている。幸い、この地は水も食料も豊富で、飢えの経験が少ない。備蓄のある人も多いからこのくらいで済んでいる。都心でひとたび何か災害にあったとき、隣県への冷たい報道姿勢はきっと記憶されているだろう。あまり想像したくない未来が頭に浮かんでしまう。
 
 
 

19世紀のプロレタリアと20世紀の奴隷と、女でいること

 夏も終わろうとして振り返ってみたら、読んでいた本がどちらも岩波文庫の「奴隷」(細井和喜蔵)と「イギリスにおける労働者階級の状態:19世紀のロンドンとマンチェスター」(エンゲルス)だった。論文を書きながら現在につらなる重たい歴史的事実に思いを馳せていた。100年の時間と空間を異にしながら、この2冊の本のなかで、資本主義は同じ顔を見せている。そして同時に、どこか違っている。忘れないうちにブログという形をかりて記しておきたい。

 「奴隷」の作者は「女工哀史」で知られる細井で、小説にはあまり光が当たっていなかったという。岩波文庫に2018年に初めて入っていなかったら私も手に取らなかっただろう。いわずとしれたエンゲルスは、どちらかというとマルクスの影として扱われがち。どちらも資本が縦横無尽に暴れ出した今の時代の源流を教えてくれる。自分が若いころに、これをじっくり読みたいという気分にはならなかった。時代の空気が変わったのだ。

 細井は当事者の目線で書いている。プロレタリア作家、というよりも当事者の記録とか生活史といった趣だ。エンゲルスはもちろん本人がブルジョアで、あらん限りの資料や見聞から生活史を書き起こしている。イングランドには、細井に匹敵するような当事者としての書き手はいたのだろうか?ぜひ専門家に聞いてみたい。28歳で亡くなった細井が短い半生の間に、ここまでの著作が残せる人として生き延びられた背景には、「頑張ればなんとかなる」と社会が隙間を見せ続けたからかもしれない。長時間労働のあと夜学に通い、発明で特許をとる夢を見て日々精進する職工にも。結局、発明はかなわないが、本を残せた。細井の描く組織の人々はみな上をみて下を蔑む。周囲の人たちも、虐げられ罵倒され酷い目に合っているのに、みなギリギリまで「がんばって」いるのは時折組織が引き上げる可能性もあるからだろう。上に反抗したものは憂き目にあい、ほとんどの人は「なんとも」ならずに野垂死にしていくのに。

 それに対して、エンゲルスの描くプロレタリアは同じ繊維工場で働かされているけれども、「がんばっている」様子は見えてこない。身分の壁は非常に厚い。貧民街はひたすら不衛生で不潔で、食べ物に事欠き、餓死するものも多い。そして、早晩道徳的に堕落していく様が描かれる。住居は狭く、すし詰めで汚物は周囲に撒き散らされている。都市の真ん中にこのような地区が出現し、時に伝染病の源となってしまう。そこで中産階級やブルジョアジーは見ていられなくなるから、貧民を救済して都市を“きれい”にしよう(スラムクリアランス!)という提言の根拠となる。

 「奴隷」に描かれる労働者の住居は汚物にまみれたりはしない。それどころか、「糞便」は肥料として売って企業の利益にさえなっている。労働者は寄宿舎という牢獄に、文字どおり閉じ込められるからだ。生活は事細かに規制され、生活用品は市価より高いものを買わされる。つまり労働者は2重に搾取される。逃走したものは罰せられ、支払われた前借金で年季が明けるまで、外出はできず給金は積み立てられて手取りがないから、もし辞めたら没収だ。生活手段が賃金でない形で支払われるとはそういうことだ。けれど、食べるものは餓死しない程度には出てくるから、炊事もしなくてよく、独身者は楽である。手にする金がほとんどない仕組みなので、個人の裁量で貯めることもできないが、エンゲルスの描くアイルランド労働者のように、賃金がアルコールに消えてしまわずに済むのだ。
 
 できる限りの時間を労働者から奪うという意味では、まさに日本の工場は搾取の頂点にある。毎日14時間働く上に、残業もさせられ病気でも妊娠中でも工場に駆り出される。めったにない休みのうちの1回は「会社の運動会」に全員強制参加なのに文句も言わずに喜んで、最後には「工場長万歳!」と自主的に叫んでしまう。細井はこの受動的で従って生きている様を、奴隷根性と呼んでいる。容姿がよかったり能力が優れていたりするものみな足を引っ張り合い合う。仲間であるはずの労働者たちと、連帯している様子がないどころか、「連帯責任」を課すことで企業内は資本家に都合よく統治されている。救い難い悲しさを感じさせるのは、資本家と労働者の対立にすらならない様である。ちなみに、労働の民俗学者福田アジオによると、農村の休日はみな一斉に神事に参加する祭りが中心だったという。そうやって工場は農村を真似ていたのだ。イングランドの工場には見られない生活と労働の一体化である。

 資本は2つの社会のどちらでも、できる限り“効率よく”人を集約労働へと駆り立てる。紡績は児童や若い女性にも長時間工場で労働させるので、イングランドでは時に能力によって夫が失業して妻が工場で働き夫が子どもを面倒を見ている家族が出現しており、エンゲルスはこの実態を両性の人間性をそこなうばかばかしい状態として嘆く。効率のよさを徹底すると時に資本は性差を消していくが、日本では性差は最初から職種の分離として組み込まれていて、こういう事態はおきない。そして、器量の良い女性は身分差があっても妾として囲われる可能性を残し、男性は身分の中での地位獲得競争をする。地位、金、女はセットなので失敗すれば全てがおじゃん、になる。「奴隷」の主人公が自殺しようとする瞬間がまさにそれだ。性別職域分離はこうやって男性の勤勉性を作動させる。

 100年たってそれぞれの社会で起きている現実をみるにつけ、資本主義は一枚岩でもなく、基層としての文化が強固である。現代日本に連綿とつづくジェンダーの暑い壁が張り巡らされているなか、資本が万人に平等に働く一面さえみえてこない社会で女をするのも、なかなか大変だ。
 
 

川崎登戸事件:日本システムの光と闇が遭遇した不幸

 なんとも気持ちのやりばのない事件だ。殺人を犯した岩崎隆一は本人に責任を帰すにも厳しい身の上で育った。幼いころに父母が別れて以来、伯父夫婦の家に身を寄せている。同居の親族はできるだけのことを彼にしてやり、「本人の意志を尊重する」という、あたりさわりのない対応をしていた。公的機関は介護支援を求めた伯父たちによる千載一遇の機会を逃したとはいえ、担当者がシステムを超えて動きようもないケースであっただろう。誰にも目立った落ち度はみつからない状態のまま、2人が殺害16人が傷害の被害にあい、加害者は自殺をしている。

 これは社会が引き受けるべき事件なのだと、私は思う。
 伝えられているところによると、幼いころに引き取られた家にいた従姉妹がカリタス学園通っていたという。もしも身近な親族に不満が蓄積していたのなら、彼はきっと直接親族に刃を向けたであろう。でもそうはせずに、わざわざ電車にのってカリタス学園の小学生の列まで出向いている。カリタス学園は、彼が目にしていた光り輝く日本社会の側面を表す象徴にすぎず、個人的な怨恨ではないのだろう。現在の自分を生み出して省みることのなかった社会への復讐が、不幸にも幼い子どもたちの待つバス停で果たされてしまった。

 幼いころから親の手厚い庇護を受けつづける人と、貧しかったり虐待を受けているのに誰からも手を差し伸べられることなく子ども時代を送る人の差が広がっている。中学を卒業したころから、生涯を通じてこの別れた人々の群れは顔を合わせる機会がない。同窓会に来るのは羽振りのよい光の側だけである。日本社会の表と裏はべったりと貼り合わされている。光は闇があればこそ輝く。そして、不幸にも光と闇は同居して育ち陰影は深まっていった。

 ひきこもりの70408050問題に「支援」という言葉は馴染まない気がする。4050の当人たちは「助ける」などと上から目線で言われるのは嫌だろう。伯父が手紙で「将来どうするつもりなのか」聞いた時の返答が「自分は洗濯もするし、食事も作れるから閉じこもっているわけではなく、ちゃんと生活している」であったように、本人は高いプライドで身を守る。けれども食事も小遣いももらいながら一室に暮らすという状態は、紛れもなく伯父夫婦に生を依存している。その自覚があるからこそ辛い。そこに「支援」すると言ったとして「そんなものはいらない」となるのも理解できる。

 人は生まれ落ちてそこにいるだけで価値ある存在として尊ばれる権利がある。現代日本にはその権利を実感できずに暮らしている多数の人がいる。岩崎隆一はその1人であったにすぎない。50歳になる「健常な」大人が仕事をしていないとどういう目で人が見られるのか、日本人はみな知っている。どれほど人手不足でも特定の履歴の人間を社会は受け入れない。まともに働いて暮らすことを厳しく要求する世間に対して、年を経るごとに人は心を閉ざす。

 生きてそこにいさえすればよいではないか。だから伯父には自宅に「いるような、いないような」と言ってほしくはなかった。幽霊じゃあるまいし。別に世話をしなくてもよかった。ただ、「彼はここに住んでいるよ」と存在を認める言葉が聞きたかった。彼はすでに、死んだように生きていたのだ。

急降下する幸福度:健康寿命を支える人生における選択の不自由さ

2012年の発表以来7回目となる国連のWorld Happiness Reportにとりあげられた幸福度指数。NHKはじめ各所で広く取り上げられている。これまで、こんなに報道されていただろうか。日本人のランキング好きをくすぐるのかな。さすがに景気がいいとかいわれてもピンとこなくなっているから、新たな指標探しに注目が集まるのだろう。幸福度指標はかねてより講義でも紹介しているので、光があたるのはうれしい。サスティナブル社会への移行と数値目標は切り離せないからである。この指標は当時ノルウェーの女性首相であったブルントラントの率いた委員会で、「持続可能な開発」の概念ともつながりの深い測定値である。

この指標を構成しているのは、1)一人あたりGDP2)健康寿命、3)親戚や友人からの支援、4)人生における選択の自由、5)寛大さ(寄付の過多)、6)政府の汚職や腐敗、7)ディストピア指標:ポジティブな感情(笑い、楽しい)とネガティブな感情(心配、悲しい、怒り)で測る残余的指標。日本はトータルで世界156カ国中58位、先進国ではOECD36カ国中32番目となっていて、GDPなどから比べるとよい数字ではない。

ところで報道ではランキングが下がった点が強調されているが、私は絶対値の変化のほうが気になった。2005-2008年と2016-2018年を比較して64カ国で絶対値が増加している中で、日本は低下した42カ国の側にいる。変動幅ランキングでいうと、なんと132カ国中の95位となり急降下中といえる。この10年の冴えない雰囲気が指標に凝縮されている。もっとも幸福度が急降下している国には、現状幸福度は上位にいても未来が怪しいと思わせる国が入っていて、フランス、スペイン、デンマーク、イタリア、米国なども日本より下がり方が大きい。

GDPという指標で日本が24位だとして、それを下回った指標は3)親戚や友人からの支援50位、4)人生における選択の自由64位、5)寛大さ(寄付の過多)92位、6)政府の汚職や腐敗39位、7)のうちポジティブな感情(笑い、楽しい)73位。じつは、ネガティブな感情(心配、悲しい、怒り)はそんなに悪くない14位。淡々と過ごしていて楽しい時間が少ないという感じは想像しやすい。4)人生における選択の自由は、日本と並んでフランス、スペイン、イタリア、米国でも足を引っ張っている項目である。どうやらこのあたりの指標に未来世代の不満が見え隠れする。


選択の自由がある社会とは、自分の性別やうまれ育った家族や地域など、出自の属性にかかわらず何か自分がやりたいことができる(平たく言えばなりたい職につける)という意味である。まさに近代社会がめざしていたはずの価値を、結局先進国の多くが実現できなくなっていたとしたら、世界は産業革命以来の変化を経ていまや閉塞したのだ。若い世代が暴発したり急速なカルチャーの変化をもたらしているフランスや米国のような国と、そんなエネルギーすら失って消えゆく(少子化する)社会が日本、スペイン、イタリアだ。また、この3カ国は健康寿命ランクが一桁と非常に高い。美味しくヘルシーな地中海式の食事と和食を支えるのは妻あるいは母となった女性たちだ。一昔前に家族への食事づくりを喜びにしていた女性たちは、いなくなってきたのだろう。彼女らの人生における選択の自由と美味しい食事や健康寿命は、残念ながらいまや相反する関係にあるといえそうだ。

石炭火力発電所の計画を中止する理由への違和感

 昨年秋から遅ればせながら千葉県民として「蘇我石炭火力発電所計画を考える会」に加わって、実際のアクションをしていました。ここまでの活動は幸い果実をもたらしてくれて、12月末に蘇我の計画が中止になり、1月末には袖ヶ浦も中止。相次いで計画していた企業が「事業性が見込めない」という理由で天然ガス火力発電所を検討するという横並びのプレスリリースを出しています。
 それにしても、この間の活動を通してかいま見える企業と自治体の当事者たちからは、環境社会学の古典的知見をフルコースで思い出すほど似ている体質を感じてしまいました。ああ、何も変わっていないんだな、と。(正直にいえば学術的知見を有効活用して実践に応用。先人に感謝。)

 「事業性が見込めない」とした理由には様々な理由が含まれているでしょう。環境対策費用がかさむ、というなかには市民運動対策や訴訟リスク、投資家の圧力などあらゆる要素が入っているわけです。彼らは詳しく内訳は言いませんけどね。でも、中止発表の翌日に九州電力の社長が「今回の判断は、石炭火力を否定するものではない」(産経ニュース2019.2.1)と語っているように、長崎県松浦市では計画が続いています。これでは水俣におけるチッソと変わりません。うるさい市民が多くない首都圏から遠く離れた人目につきにくい地域でなら、石炭火力はOKというわけです。原子力発電も全てそうで、需要は東京にあるのです。だからどうも素直に喜べません。

 ちなみに、千葉県は東京近くではありますが電力輸出県ですので、この計画はすでに東京で煌々と明るい不夜城の街を照らすための計画であって、湾岸のタワマンは大量に建ってもその横に石炭火力は計画せずに、やや離れた千葉に持ってこようという見下された計画だったけれども、そう甘くなかったということでしょう。
 
 でも、もっと遠くならいいのか。「事業性」とは石炭採掘の現地住民や運んで加工している人の健康が損なわれたり、近隣住民の大気が汚れたり、地球の二酸化炭素が増えて気候が変わったりすることを、見て見ぬ振りをすることで「見込み」が立てられるものなのですか。それが市場原理や資本主義の原則に則っていて正しいと主張されるなら、この制度はもう破綻しています。その金銭的なカウントが企業会計に入らないなら、入れるように仕組みをかえないと永遠にこのシステムがとまりません。税金の仕組みを変えたり、方法がいくら提案されていても、政治が変わらない限り実現されません。儲けを分配するお仲間にみんな入ろうとしている。

 その発想の根底にあるのは、「水俣が映す世界」(日本評論社)で原田正純氏が書いているように、一言でいえば「人を人と思わない人間差別」であり、遠くにいて困っている誰かを自分たちと同じ人間だと考える想像力の欠如だと、あらためて確信させられています。



 

2019年から始める「海辺の菜園」

 目新しいことづくしではじまった新年らしく、個人ウェブサイト「海辺の菜園」を作りました。第1世代のブログから数えると3代目。この間に世界はSNSへと移行。どう発信したものか考えつつ右往左往してFacebook Instagram Blog 個人Siteに収束しています。Twitter は何回か使ってみたことはあるけれど、合わないし気が乗らない。トランプ大統領のイメージが染み付いて気分が滅入る上、私には短すぎました。フォロワー数を獲得する競争にはどのみち向いていませんので、参入しません。

 常勤職をやめセミリタイア宣言をしてもうすぐ2年。ようやく充電期間を取れた気がして〉“放電を始められる気がしています。そこでいっぷう変わった表現形式を探ります。論文や書籍という形式で書ける内容には、いろいろな制限があります。編集を経るから人の目が入る良さがあり、専門家に認められた証ともなります。間違いがあれば修正され、印刷革命以来の人類の知恵が到達した方法であることは認めます。でも、あたりまえですが、特に論文は現状の学術界を反映し、書籍は出版界を反映する以上時代からはみ出た内容は認められません。変化の早い時代にそれは不利な特性。わずかでも必要とする人がいたら届けたい話はいろいろあるけれど、おいそれとは出せません。

 あらゆる情報がウェブに乗るようになると、紙の本にお金を出して読む人とそうでない人の溝は拡大します。学生たちだけではなく、私も結局ウェブに書かれた文字をタダで読んでいる時間が格段に増えているのが事実です。この流れは必然でとめられないでしょう。その内容は専門家にオーソライズされていないものばかりで、広告であったりする魑魅魍魎。でも実際には読まれて使われていくし、役に立ち真実である内容も多いわけで。
 
 いくら専門家が「それは素人によるものだ」といったところで、止められない。「玄人の判断だから正しい」、とも言い切らないのは社会学の学問に内在する論理によっています。現在の学術界を席巻している「論文」システムには歴史がありますが、どうも負の側面が目につきはじめています。人間がどう知恵を集積して情報が選択されていけば社会はうまく流れるのか、技術環境がインターネットの浸透で劇的に変化してしまった現在、書き手と読み手の関係性も、表現形式も見直されていくでしょう。

 大学教員なので講義のために多くの本を読み準備してきました。けれども、良心的に講義しようとすれば自分の見解ばかりを語れるわけではありません。自分のなかに蓄えられた知恵のほんの一部しか語ってはいないし、字にしていないなか、もうすこし書き残したほうが社会の知恵の集積に寄与するのではと感じる時もありました。私が知っていることを知らない人や、知りたい人はどこかにいるかもしれない。そこで、個人で切り取ったテーマごとに綴るエッセイを即興的に書いていこうと思います。間違えることもあるかもしれませんが気づいたら誰かに教えてもらいましょう。そう、100%正しい言説などもとよりないのですから。

 従来型の形式にとらわれずにアウトプットを増やすことが、2019年の私の目標!