「父の娘」たちへの手紙

 寒くて長かった冬が終わり急に春めいてきましたね。いかがお過ごしですか。
 こちらはおかげさまで少し崩していた体調も、暖かさとともに回復してきました。子どもも両親もあいかわらず元気にすごしているようで何よりです。私の夫は、そうですね、いつものようにブツブツいいながら、淡々と仕事をこなしつつペットの亀に餌をやり植物に水をあげる毎日を過ごしているようです。もうじき祖母は103歳の誕生日を迎えます。私も顔を出してこようかと思います。

 お子様たちも大きくなって、自分のために使える時間が増えましたか。
 いえ、あなたのことですから、自分のために時間を使うよりはお子さんのために相変わらずたくさんの時間を使っていることでしょう。でもそれは子どものためですか。お節介ですけれど、もしお子さんをあなたのお父さんの期待するような人になるように鍛えているのだとしたら、それはかわいそうだからやめてね。お子さんは父へのあなたからの貢物ではないのですから。
 
 そろそろあなたが心から自分のやってみたいことを始めてはどうですか。あなたは「やりたいことがよくわからない」というかもしれませんが。その理由が最近ようやく腑に落ちました。お父さんにやるように言われていたことをずっとしてきたのですね。勉強をして多芸でよい仕事について、将来父に代わってくれる立派な男性と結婚して子どもを産んだら、あとは子どもを立派に育てる。でも生き生きしている子どもはあなたの意図どおりになんて育ちません。それが一番のあなたの子どもへの贈り物なのですよ。ほんとうにお疲れ様でした。

 あなたはやってきたことに自信を持ってもよいはずなのに、どうしていつも「自分はダメだ」とか「何もできない」と不安げに口にするのですか。私なんかとは比べようもなくあらゆる仕事をそつなくこなし、そんなにも素敵なのに。謙遜しているほうが世間の受けはいいからなのかもしれないけど、いつもそれだけとは思えないんです。
 新しく何かやってみるのは怖いことですか。私もほんのすこしだけ想像できますよ。車の運転をし始めるとき母が「大丈夫か」とやたら心配したんですよ。もう何年も乗っていてゴールド免許なのに。うんざりです。心の奥にかすかに眠っている小さい不安を呼び起こされる瞬間でもあります。交通事故はどれだけ気をつけていようとも、相手もあることですし、起きる時は起きるんです。こんなに誰でも車に乗ってる時代に、なんでいつまでも心配されないといけないかな。やめてほしいんですよね。なぜか夫が運転してると安心するらしいのも勘違いとしか思えません。女は運転できない、しちゃいけないって世間はようやく言わなくなってきましたけど、煽り運転は対女性が多いらしいですね。ついに運転しはじめたサウジアラビア女性に、乾杯!

 父は運転には「大丈夫か」とは言わないんですよ。気にしていないみたいですね。でも母は運転はできないまま一生を終えます。それは父が運転しないほうがいいというからなんです。若い頃は運動神経抜群で、たぶん父より上手に決まっているのにね。自分ができることを妻がやるとカッコつかなくなるからなんでしょう。バカみたい。そう、あなたも母を通じて間接的に父にダメ出しされてるんですよ。それが家父長制の真髄です。母が毒?いえいえ、結局父なんですよ。母がいつも父にダメ出しされている。そうすると面倒なことに、あなたは気をつけないと父と母2人から交互にちびちびと「ダメ出し」されることになるんです。

   その分ほめられるように頑張って生きてきたでしょ。家のことをちゃんとやり子どもを育てて母にダメ出しされないようにして、仕事をちゃんとやって父にダメ出しされないようにして。このまま続けるのは無理です。彼らは2人あわせて1人分だったのに。なんであなたは2人分もやるの?そんなことしたら体を壊します。お願いだからもっと自分を可愛がってあげてください。夫の世話?大丈夫ですよ。彼には自分のことくらいはさすがになんとかしてもらいましょう。どれだけあなたが頑張っても、父はあなたを下に見ることをやめませんし、母も救われません。キッパリあきらめましょう。

 あなたのこれまでの頑張りですでに手にしている素晴らしいものがたくさんあるでしょう。それを1つ1つ思い出して自分を十分に認めてあげてください。あなたの娘が自信を持って人生を歩んでいく力の源にあなたがなってください。あなたの娘をあなたのように父の娘にするのは、もういい加減やめませんか。それがジェンダーを再生産してしまうのですから。あなたの父はただの男性に過ぎないのです。なにやらもの凄そうに見えていたとしたら、それは母にかけられた魔法のせいです。あなたの父は死ぬ間際まで妻と娘に対して強がってみせるでしょう。頭も体はすっかり衰えているというのにね。
 あなたはうすうす感じているはずです。父亡き後には夫がそのかわりにあなたを支配していくであろうと。もうそんな重たい生活はやめにしませんか。結婚していようといまいと、よい仕事があろうとなかろうと、父の娘が精神的に自律するのはとても大変。でも、あなたがいったん気づいてしまえば簡単に魔法は解けるはず。

 新しい1年をこの春から始められるよう祈っています。
 
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 晶文社スクラップブックで「母と息子のニッポン論」を連載しています。そのウラにあたる「父と娘」関係もけっこう重症だな、と感じる機会がよくあります。いつかこのテーマも書きたいですね。