非正規雇用労働者はフリーライダーになりやすい?

  ああびっくりした。小林盾氏の「ライフスタイルの社会学」を読んでいたら、「正規雇用労働者と比べて非正規雇用労働者ほど、仕事の責任が少ないため、職場でフリーライダーとなるだろう。」という仮説をたててデータで検証して「そうだった」と結論していた。何かの間違いかと思って読み直したけど、はっきりそう書いてある。目が点になるとはこのことだ。腹が立つを通り越して、呆れ果てている。


 彼は「非正規雇用労働者は、仕事に手抜きをするわけではない」と述べている。じゃあ、どこでフリーライダーになるのかというと、「期待される業務が正規雇用労働者と異なるためか、仕事量、同僚サポート、アイディア提案が少ない」だからだそうである。それは、まさに契約上仕事で期待される内容の違いそのものではないか。なら、フリーライダーっていうな!

 非正規雇用は正規雇用の同僚と同列に比較されうる対象になるどころか、搾取される側ではなかったっけ。単純にいって、時給は低くて昇給はないわ安定はないわ、という立場が非正規雇用ではなかったっけ。だからみんな正規雇用になろうと血眼になって就活するんじゃなかったっけ。その前提は常識であるとして、かりにその常識と違う話をするなら、理由や根拠を厳密に提示するのが最低限のマナーだろう。

 どこから非正規雇用労働者をフリーライダーって考えようというアイディアが出てきた?しかもこの本はトンデモ本じゃない、東京大学出版会という、学術界きっての格式高いところから出されている。学会でもセッションが立っている。著名な方々の推薦により出版されている。また偶然にしてはできすぎであるが、小林氏は現首相の母校である成蹊大学の教授だ。

 私はフリーライダーになるのは苦手なほうだと思っている。それで、昨年度、常勤の准教授職をやめて非常勤講師に戻ったばかりだ。逆に常勤職をフリーライダーが出現しやすい場だと思ってきた。非常勤には、そんな自由すら与えられていないはずだ。大学という場には常勤と非常勤の給与体系に厳然とした水準差がある。その差をうめるべくFWANという試みを始めたのも不当だという思いからだ。常勤職には大学を運営する上で様々な責任があるのは事実であるが、どう単価計算しても講義の比重は高い。教育が中心の私立大学であればなおさらだ。常勤職の講義1コマあたりの時給を考えたら、非常勤職は半分以下しか支給されていないのは確実だ。金銭で報われないその仕事を熱心にしている人間をフリーライダー、ともし教授陣が考えているとしたら、不当であると言い返したい。

 小林氏は自分の足元の職場にあるその差別を、完全に見ない人なのだろう。彼が社会学者であると名乗っているとするならなお恥ずかしい。この記述を含む本書が、とりまく人々が指摘することもなく、学術出版されてしまうというシステムの脆弱さ。

 こんな実態を重ねていては、学問というものへの信頼性など消え失せるだろう。いやもう、とっくに消えているのかもしれない。人々のリアリティを捉えそこなったエリートの語る言葉への嫌悪が、世界を席巻している。いまなにが真なのか偽なのか急速に誰もがわからなくなりつつある。それは些細かもしれないこういう違和感の積み重ねが生み出しした悲しい帰結だと私は考えている。