家族と共食:日本社会学会発表を終えて

 なんと12年ぶりに「日本社会学会」で発表してきました。共食(ともぐい)ではありません(笑)、誰かと一緒に食べることを共食(きょうしょく)といいます。2001年の発表は「子育て法」関係の内容でしたけれども、今回は食と家族。子育てと食って今なにかと同時に議論されていたり「食育」は政府が熱心に取り組んでいる政策の一つ。第二次食育基本計画では、朝食又は夕食を家族と一緒に食べる「共食」の回数を増やす数値目標さえも、たてられています。そういう気持ちのよくない話が巷にあふれていることが気にかかっていた折、縁あって貴重なデータを分析する機会をいただいたことから、仲間とともに研究しています。
 確かにね、2012年に子どものいる核家族世帯が、全員で朝食を囲むことは「めったにない」人が60%に近いという数字には驚きました。1988年から比べて20%以上も増加しています。都市の家族はみんな忙しい。飛び回っているし、バラバラの時間帯で生活している。想像できなくはない。一緒に食べなくてもいいじゃない、とも思ってはいます。ただし、みながそうしたくてしているならいいんですが、分析しているとそうも感じられない。
 一緒に食べない人は、妻がパートタイマーの人や無職の人に多いようです。多忙で毎日残業だったり、家が遠い人は最初から家族の食事時間はバラバラ前提で生活を考えているのかもしれません。また、朝食に全員がそろわない家は、年収が低めなのです。世帯の年収があがらないなか、妻が朝早く仕事に出たりしていると考えられます。子どもだって通学しているし、少し大きくなったら部活動だの朝練などあるだろう、だったら、子どもが幼いときならみんないっしょに食べているのか?というとそういうこともないようです。かなり親の働きかた、そして階層の影響が大きいのだということが今回の分析でわかりました。
 つい先日、フランスのある場所で夜8時以降の開店に「ダメ出し」がされていました。イギリスでも、ニューカッスルのような地方都市では6時でスーパーが閉店します。日曜は基本閉店だし。確かに不便なんですが、働く人は時間的な意味では保護されることになります。不規則生活の多い少人数世帯を支えているのが、子持ちのパートタイマーだったりするこの現実はかなり歪んでいませんかね。議論のあるところでしょうが、この現実があるなかで、暮らすために背に腹はかえられない親たちは、子どもと共食する暇がないのはあたりまえでしょう。
 ちなみに、都市より農村の方が共食はしやすいようです。近頃農村生活の私はそりゃ、そうだと実感中。なにせ外はあっという間に闇に包まれてしまう。そんな時間にウロウロすることなんてしたくありませんからね。スーパーマーケットはおそらく「もうからないから」20時閉店が多い。近所はファミマでさえ23時閉店ですから。20時を過ぎると外食する店にも一苦労するなど、都会暮らしには想像できなかったのですがいまでは早帰り生活に慣れてきました。都会の仕事場はみんな遅くまでいるので、それが当たり前になってくるのでしょう。24時間照明の絶えることのない都会暮らし大好きの私がいうのもなんですけど、闇に星降る夜を味わう生活も悪くないものですよ。