とある身近な人が一冊の本をくれた。ご親切にも、放射線をむやみに心配しないように、女子学生にすすめてくれれば、とのご託宣つきで。中川恵一という東京大学医学部医学科卒業後、東大医学部付属病院に勤めている准教授がかいた本「放射線医が語る被ばくと発がんの真実」である。
まずもって、信じられないほど重要な点に誤植がオンパレードであることに開いた口がふさがらない。(http://www.kk-bestsellers.com/cgi-bin/detail.cgi?isbn=978-4-584-12358-4)。「東大話法」の教材には使えそうであるが、女子学生には確実にすすめない。帯によれば、「これが真実です:フクシマではがんは増えない」私もそうであってほしい、と祈る。でも、「全国では増えないとは言ってない」、とか後で詭弁をたれそうだな、この人。
つい最近、めったに流さないtwitterで取り上げたばかりであるが、低線量被爆問題は日々検証されている。幼少時のCTスキャンで浴びた放射線が後に悪性腫瘍を発生させるリスクを何倍にも高めるという結果が疫学的にもはじめて検出された(http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2882432/9069794)。そのためには18万人ものデータが必要だったのだ。さすがに実証主義の本場イギリスである。こんなデータが普通の社会にはないので結局わかっていない、のが真実に近い。ほんとうは医療被爆大国で、フクシマ原発のあとの低線量被爆が議論になっている日本でこそ、このニュースは大々的に取り上げられてもよかったはずなのに、国内メディアの反応は鈍かった。自分で論文読んでその価値を判断できる記者が少ないとはいえ、あいかわらずひどい。
中川氏の議論は、かいつまんでいえば「チェルノブイリの報告書」に書いてあることを繰り返し、広島長崎をもとにしたデータでICRPが言っているように、「100ミリシーベルト以下の被ばくでは、発がんの可能性はきわめて低い」なぜなら「影響がみとめられていないから」といった単純な内容である。でも、これでは人々の不安のツボは完全にはずしている。「チェルノブイリの報告書」が真実をとらえていないのでは、とみんな心配しているのだし、「影響が検出されていない」といっても、それは疫学的(統計的)に検出されにくいだけではないか、というまっとうな疑問には何も答えていないからだ。放射線の専門家なんだから、その微妙なところを最新の論文をもとに解説してくれるのならまだしも、ほかの権威にすがってるだけなのだ。要するに、彼は「自分は権威ある立場にいるものだ。自分がいってるんだから正しい」と権威が権威にすがってる以上のことは何もしていない。あほらしくて途中から読むのもうんざりだった。
ゆっくりあびるのかいっぺんにあびるのかはともかく、CTスキャンで高まる発がんリスクの放射線量とは、フクシマの周辺で現に人々が浴びたのと同程度の水準である。グレイという単位で表現されているけれども、その換算についてはこのサイトで置き換えるとわかる(http://www.aomori-hb.jp/ahb2_08_h07_term.html)。あらためて考えると、シーベルトで規制するより正確にはグレイでやらないとほんとうはまずい。おなじグレイでも、人の体への影響を考えるとき、アルファ線だと20倍になるんだし、臓器ごとに受けやすさが変わるから。
とある身近な東京大学卒の高齢男性は、幸いこのブログを読むこともないだろう。インターネットという情報源を全く使わないからである。そういう世界に生きている人と、中川恵一氏はじつに相性がいいということもよくわかり、デジタルディバイドの深刻さと妙なねじれを感じるできごとだった。