授業がはじまって震災後初の東京行き。いつもより数週間遅れて始まったので、2ヶ月以上あいたことになる。噂に聞いていたとおりの暗い駅の照明と、少なくなった賑わいにも、着いた当初は敏感だったけれど2日目にはもう慣れてしまっていた。人間ってすぐ環境に慣れて、それが日常になるのかな。ただ、宿泊先が後楽園遊園地の近辺なので、電気が消え、いつも聞こえる絶叫もなく寂しく感じた。これは震災の影響ではなくて1月末の死亡事故によるものだという。現在の街の暗めな雰囲気と妙に符合しているところが悲しい。
街はいつものように動いているのに、地方や外国からの客がいない。これが大都会の雰囲気をすっかり変えている。いろんな見知らぬ人が遠くから来て、いつもごった返している、これが東京なのに。いまは落ち着いた地方都市と似たような雰囲気になった。残念だけれど、そうなった時東京という街の魅力はなんだろう、と考えるとあまりよくわからなくなる。電車の運行本数が減って生命線である利便性が失われ、電車は込み合ったまま遠距離通勤し、止まったエレベーター前の冷たい進入禁止テープを横目に階段を歩かされる東京。
あらかじめ暗い照明がデザインされているならカッコいい。でも、一つおきに引っこ抜かれた蛍光灯と照明の消えた看板は、しみったれた雰囲気を醸し出すだけで嫌いだ。それなのに、電気が消されたその通路に、自動販売機はそのままぴかぴか光を放っている。シュールである。ここには、何から電気を使う方がよいのか、皆で知恵をしぼりあった思考の痕跡などない。暴露系の週刊誌の吊り広告の横には、「がんばりましょう、みんなで心を一つに」調の広告が張られている。電車に乗っているだけで、精神がばらけそうである。
ところで、内閣府参与だった東京大学の教授が辞任した。全文を掲載したNHKの科文ブログは結構がんばっているようだ(http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/200/80519.html)。このような学者らしい人がいても、従来から原子力行政を司ってきたムラの人々の決定が結局はとおってしまう。幼い子どもたちは年間20ミリシーベルトという信じがたい基準設定の被害者になる。繰り返されてきた公害問題の既視感。雨が降って土壌の放射性物質が流されるどころか、また線量が増えているところも多い。圧倒的に足りない海のモニタリングを補ってほしいのに、グリーンピースの船には許可が出ない(http://www.greenpeace.org/japan/ja/)。
祝日ついでに国立新美術館に行ってシュールリアリスム展を見てきた。でも何の感情もわかない。現実の方がシュールな時代に、きれいに壁に飾られたダダイズムの展示に意味など見つけられようもない。いまを映す感性はどこか別のところに生まれているはずである。もしかしてこんなところかも(http://www.asahi.com/national/update/0502/TKY201105020282.html)。最近、ポール・オースターの小説だけはなぜか心地よい。起こりそうもない偶然や出来事が次々に生じる彼の小説は、私には日常の現実と重なって、貴重な癒しの時間を与えてくれている。