こういうのを幸福な出会いというのだろう。ザック監督と日本サッカー代表選手たちのたった5日間が途方もなくすごい結果をもたらしてくれた。わがエスパルスの岡崎のゴールには、思わず(テレビの前で)絶叫してしまった。金曜の夕方、東京の仕事先から直帰してみたかいがある。
つい数ヶ月前にあのようなサッカーをしていたメンバーが、まるで違うサッカーをすることができる。やはり監督を変える、というのはそういうことなのだ。ああ、数ヶ月前ワールドカップの直前にザックに頼んでおけば、という後悔まで生まれる。なーんだ、ほら普通にやればいいんだよ。奇策なんかいらない。十分実力あるんだからさ、みんな自信もってやろうよ。トルシエもオシムも同じことを言わんとしていたはずなのに、なぜザックは同じことを短期間に選手にしっかりと伝えられたのだろうか。(ディフェンスの体の向きからという指示には驚いた!代表なのにどれだけ基礎から。。。)
熟慮の上で選ばれたというわけではないけれど、たまたまイタリア人だったことが大きいと思う。あの国はメンタリティがヨーロッパの国の中では日本人に近い。私はあまり好きではないけれど、ウエットな情感が共有できる。北野の映画がカンヌでなくヴェネチア映画祭でグランプリを取ったことも偶然ではない。言葉が違っていてもそこがわかり合えていると、意思疎通は早いだろう。スペイン系の監督に引き受けてもらえなくて「偶然」助かった。ザックは繰り返し「自分が日本人に合わせる」と言っている。これまではっきりそう言った外国人監督はいない。彼がイタリア人の中では、どまんなかの人でなく、少しはずれた人であったことも幸いした。理想はともかく、ムリなものはムリ。ザックによってはじめて、オシムがやろうとしても成し遂げられなかった「日本のスタイル」が見えてくるかもしれない。うーん、ライオン(だっけ)に追いかけられて肉離れをしてしまうウサギは日本にはいるのですよ。オシムが足りないと嘆き続けた戦いつづける社会のメンタリティには、およばなかった私たち。
スタイルとしてもとっても気持ちがいいサッカー。同じように守備から入っているはずなのに、どうしてあんなに岡田ジャパンと違うのか?みんなチャンスとみればタテへと急ぐ。この勇気がワールドカップでどれだけみたかったか。指揮官の落ち着きと自信があれば、こうやって前に出られる。選手は監督の無意識と一体化するのであって、うわっつらの言葉には惑わされない。あのストレスのたまる二重なねじれた言葉が飛び交う緊張空間がなくなり、選手の体は開放され、伸び伸びプレーしている。そういう意味では、原さんが指揮をとった2試合もそうだった。ずれ込んでも交渉をしていた彼の功績は大きい。最後に、きちんと鍵をかけていく(カテナチオ!)交替のしかたも、繊細かつ明確で感心。
おおげさにいうと、この勝利への自信は、あとで振り返って日本社会のいろんな転換点になるほど大きいような気がしている。私たちに強いサッカー代表がある、と思えたら、なにかと被害者意識や卑屈に傾きがちな日本人の心強いお守りになる。アジア隣国の蔑視などに傾かず、余裕ある態度も保てる。右翼のような活動でなく、日本代表で愛国活動してもらうほうがどれだけよいか。
この幸せがつづくのか、それだけが心配とはいえ、このアルゼンチン戦を胸にきざんで残りの人生を生きられるだけでも、至上の喜びである。