ひさしぶりの海外。仕事の後少し時間が取れたので街歩き。何かとご縁がある街で、これが3回目。しかも毎回わりと滞在日数が長い。そのせいなのかどうなのか、新鮮さとか驚きとか外国にいるという緊張感がないまま過ごしてます。かなり不思議な感覚ですね。夕方テレビをつけたら、日本語の主題歌付きアニメが流れて来たので、なんだろうと思ったら「鋼の錬金術師」だし。
到着した時から、どうもフランス人の顔をみると日本人にいた○○さんに似てる!と想像できてしまう人がやたらに多い。北欧とか北米・英国にいる時にはあまりない感覚なんです。それに、ここは来るたびにそうなんだけれど歩いていると何回もフランス語で道を聞かれる。(当然ごめんなさいをする)。私もPardon madame とかいってから道を聞くと、I am sorry...フランス語わかんない道わかんない...などと英語で返ってきたり、「私はルーマニア人!だからわかんない」とルーマニア語らしき言葉で返されたりする。さすがに世界都市。これほどに都市らしい場所を私は他に知らない。でも、なぜかブロンドのアメリカ人はちゃんと外国人扱いされるらしくて、道を聞かれないって言っていた。北欧に行くと道を聞かれるんだそうです。確かにブロンドはあまりここでは見ない。髪の毛の色って同質な雰囲気を醸し出しているのかもしれませんね。(もちろん肌の色が全然違うアフリカ系の人も大勢いる)
とにかくこれだけ高密度に隙間を使い尽くしている都市もめずらしいでしょう。中高層の建物が延々とびっしりつづくのはよく知っていたけれど、地下にものびてることを実感したのが、カタコンブ(地下の無縁仏墓地)。骸骨が600万体分!隙間なくきちんと地下の貯蔵庫に積まれているのでありました。想像すると怖い空間ですが行ってみるとそうでもなかった。駐車場も地下にたくさん作られている。道路には許可された路駐の車が延々と続く。休暇には空間にゆとりのあるところに滞在しないと息が詰まってくること間違いなし。
山の手線内にすっぽりおさまる街の小ささと高い人口密度がカフェやレストランに人をよび、通りのにぎわいは夜がふけても続く。みんな近くに住んでいるから遅くまで平気なんでしょう。そんな密度なのに、地下鉄の駅近くに小さいながらもメリーゴーランドや、公園があったりするから、大人だけでなくて子どもにも居場所がある。とことん狭い空間であってもいろんな人々に必要な施設を配置する計画が実現されていることに脱帽です。
パリに住めるのはそれだけ高い家賃を払える、つまり高給であるという証。または、学生ゆえに住む場が用意されているとか、特別な人。ここが楽園なのもそんな一面があるからなんでしょう。パリから押し出された人々がやってくる、鉄道駅の近くではパリの内と外が交差して、さすがに緊張感が伝わってきます。
温暖化対策「基本法」では変わらない
また1つ基本法が増えそうだ。地球温暖化対策の基本法である。ないよりはあったほうがましかも、と思うのだけれど、気になる点があった。経済産業省と重工などの業界はずいぶん有頂天なのではないだろうか。なぜかというと、排出権取引の方法で原単位方式を認めたこと、原子力発電の推進を明記したからである。これは、彼らにとっての成功だろう。
基本法はある理念を追求している姿勢を、政府が示したい場合につくられる。シンクタンクが調査などして、基本計画が整備され、はい実質的には終わり。事後点検する頃には、みんな忘却中。これがよくあるパターン。でも気をつけないと個別法の上位に来るので、後で作る法律を縛ることがある。教育基本法、男女共同参画社会基本法、食育基本法などが記憶に新しい。環境関連では循環型社会形成推進基本法などがあった。なかには、少子化社会対策基本法、特殊法人等改革基本法など、作られても明らかに事実として実効性に乏しかったものが頻出する。ということは、この法案が通っただけでは、なにも期待ができないわけである。
結局、基本法は具体的なことは決めない。だから反対派を説得しやすく、世間はなんとなくそれで何かが進展したかのような気になる。政府も何かしているそぶりを演出しやすい。それなのに妙に具体的に気になる部分が一部明記されているのは、いかにも裏がありそうではないか。環境省と経済産業省あたりでなんらかの取引があったに違いない。官僚たちのやりくちは芸が細かい。マスメディアは相変わらず、官庁の関連筋から上手に流される話を、まるで広報のように報じている。
幸い情報公開されている様々な委員会などの議論を丁寧に追うことで、官僚の意図がだいぶわかる。「何かを前向きにやるぞ」、という報道がなされるときには、大抵「重要なことをやらないための小さなガス抜き」が企図されている場合が多いので、注意してみるとバレバレである。内部の関係者はみんなわかっていて沈黙。メディアはわかっているのか、いないのか、専属広報のまま。官僚たちからみれば、民主党など赤子の手をひねるより容易く操れる、という説はどうやら本当らしい。
基本法はある理念を追求している姿勢を、政府が示したい場合につくられる。シンクタンクが調査などして、基本計画が整備され、はい実質的には終わり。事後点検する頃には、みんな忘却中。これがよくあるパターン。でも気をつけないと個別法の上位に来るので、後で作る法律を縛ることがある。教育基本法、男女共同参画社会基本法、食育基本法などが記憶に新しい。環境関連では循環型社会形成推進基本法などがあった。なかには、少子化社会対策基本法、特殊法人等改革基本法など、作られても明らかに事実として実効性に乏しかったものが頻出する。ということは、この法案が通っただけでは、なにも期待ができないわけである。
結局、基本法は具体的なことは決めない。だから反対派を説得しやすく、世間はなんとなくそれで何かが進展したかのような気になる。政府も何かしているそぶりを演出しやすい。それなのに妙に具体的に気になる部分が一部明記されているのは、いかにも裏がありそうではないか。環境省と経済産業省あたりでなんらかの取引があったに違いない。官僚たちのやりくちは芸が細かい。マスメディアは相変わらず、官庁の関連筋から上手に流される話を、まるで広報のように報じている。
幸い情報公開されている様々な委員会などの議論を丁寧に追うことで、官僚の意図がだいぶわかる。「何かを前向きにやるぞ」、という報道がなされるときには、大抵「重要なことをやらないための小さなガス抜き」が企図されている場合が多いので、注意してみるとバレバレである。内部の関係者はみんなわかっていて沈黙。メディアはわかっているのか、いないのか、専属広報のまま。官僚たちからみれば、民主党など赤子の手をひねるより容易く操れる、という説はどうやら本当らしい。
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