当然ながら他国の人々から酷評されたこの削減案の恥ずかしさは、まず第1に基準年の勝手な変更をしたことにある。日本人はともかく、外国人はそれではだませない。実際、BBCの記者などはまず数字合わせをしたことに強く反応している。最初何を言ってるのかよく理解できなかったことは、05年基準で比較するとEUよりも「野心的」になるという説明だ。それは、90年から増えてしまった日本と比べ、すでに少し減らしてしまったEUは、90年比で20%減でも05年比にすると13%減にしかならないからだ。これはEUを本気で怒らせるには十分過ぎる粉飾だろう。
歴史を振り返ると「不利な条約を無理やり結ばされた」という神話づくりはこの社会のお家芸だ。皆でよってたかって優等生の省エネ国家日本をいじめようとしている、という被害妄想を広める役割を一般紙、とりわけ産経新聞は見事に演じてきた。興味深いのは社説を比較すると、読売と朝日がこの政府案をすんなりと受け止め、日経がやや厳しい見解を出したことである。ただし、日経新聞は他の記事で経済界の意見を代弁しているので、総体としては中立だろう。ところが地方紙はおしなべて批判的に受け止めている。まるで日本の中に南北問題が存在しているかのようだ。
環境省派と経済産業省派の専門家が積み上げた異なる数字のうち、経産省派が出したものが大本営発表用に選ばれ、削減するには負担金を払うんだぞ、という脅迫をついに国民にもかけてきた。沢山の税金がこういうくだらない計算をする人々に支払われ、財界も熱心にそれを支えている。
じつは日本には削減幅を増やすために、とても有利な点はたくさんある。1つは、すでに人口が減少しはじめていることだ。普通の国々は人口増の中での削減をしなくてはいけない。アメリカのように特に増加する人口を抱える国では、とりわけ大変である。それは極めて不利な点となるはずなのに、そんな理由を持ち出して「我が国は人口増加中なので削減幅を減らしたい」とか「国民1人あたりで計算することにしよう」という主張を展開する先進国はない。本気に数字で説得しようとするなら、反論される可能性をすべてつぶしてしっかり理論武装しなければ、ボコボコにされるだろう。(殴られても気づかない可能性があるけれど(泣))
けれど、そもそも後ろ向きな主張のしかたには国家主体としての責任感がみえなくなり、品位がないので誰もしない。だいたい「国益」のことは少なくとも表立っては誰も言わない。それなのに、政府(筋)は堂々と「日本はもともと省エネ国家なのだから、議定書は日本に不利」であり、「国益」にかなわない目標は持てないと言ってしまう。(正確には「省益」なのだが、、、。)
クールジャパンの時代は終焉した。一歩遅れて登場したマンガ総理が予算をつけた国立メディア芸術総合センターは、その墓標にふさわしい建物なのかもしれない。マンガの世界で通用する論理は、現代国家間のやりとりにはなかなか通用しないのである。