息子を溺愛する程度でいったら、日本は韓国に及ばないと思った。だいたいこの映画は韓国では300万人動員を超える大ヒット。ミステリーだからってここまで母と息子がヤバイ関係の映画は、日本人向けには生々しすぎる。オモニ(オンマ)が特別な存在である韓国を感じさせられた。母の狂気は最後まで誰も妨げることができない。もしこれを純粋な母の愛、と語るとしたら怖すぎる。
そこかしこに散りばめられる社会悪。貧しさと不良仲間、警察は自白を強要するし、弁護士は美女を侍らせて貧乏人から金を吸い上げる。公務員の不正は日常である。女子高校生は携帯を改造し、家族の生活のために売春(援助交際)をする。暮らしかたの貧しさゆえ、数十年前にいるかのような時代感覚におそわれるが、携帯電話という小道具が差し込まれることで、見る側は現代へと連れ戻される。
誰もがいうように映画の構成は見事である。張られた伏線は少しずつ束ねられて息を呑むラストへと向かう。暗い雨が続く映像は陰鬱な雰囲気をいやというほど感じさせてくれる。ものうげな音楽も、これしかない、と思えるほどはまっている。それでもカンヌ映画祭の「ある視点」部門で受賞できないのはなぜだろうか。「トウキョウソナタ」にあって「母なる証明」にないもの。それは、正義が家族を超えて社会にあるかもしれない、といううっすらとした予感である。正義は母と子の関係に割って入ることができない。日本映画だとこの終わりかたにはできなかったように感じた。
時として狂気が出現することは避けられず、人に侮辱されたままでいることは許され難いといった激しい感情を共有できるからこそ、この映画は韓国で大ヒットできたはずだ。残念ながらカンヌに集う人々の心性は、もう少し敷居が高いものだった。一方「母なる証明」は、南米の著名な映画祭で受賞が決まった。血と激情のほとばしる映像は、確かに彼の地と相性が良さそうだ。